神観念と依存
今の私は困ったことがあっても、神や仏に頼ることはほとんどないが、いだきしん先生に出会う前まではそうではなかった。高校生の頃のある体験から、自分には弘法大師、空海がついていると信じるようになっていた。空海との縁は母方の祖母が大師信仰だったことに始まる。弘法大師を降ろして、人の相談ごとに助言する人のことを祖母の地元では「お助けの先生」といっていたが、祖母は事あるごとに相談に行っていたようだ。
中学3年の時、父が家を建て家族が転居することになったが、なかなか家が完成せず、転居後も家にまつわるトラブルが頻発した。それで、祖母の助言によりその先生に新しい家でお護摩を炊いてもらうことになった。その先生は家に入るなり、「ここは地鎮祭をしてないな」と言い当てられた時には、合理主義者の父は少なからず驚いたようだ。実際にお護摩が始まるとその火がものすごくて座敷の天井が焦げないかとみんな心配したらしい。お護摩の後、父の兄弟が何人か来ているのを知って、先生は「お父さん、お呼びしましょうか」といわれ、実際に私の祖父の霊を降ろすことになった。霊がかかるとお酒の飲めない先生が祖父の大好きな酒をコップで何杯か一気飲みしたらしい。この日、私は学校に行っており、したがってこの話はすべて両親からの伝聞である。それで、酒を飲んだ祖父が言い出したことは、自分自身の葬式の話であった。「葬式の時は、ぎょうさんの人が参ってくれたな。あんまり参る人が多かったんで、家の床が抜けてしもたな」それを聞いて父の兄弟たちはびっくり仰天。もうみんな忘れていて話題にすらなることがなかった出来事に「ああ、そうそう、そういえばそういうことがあった、あった」とこれは父の霊に違いないと一同納得した。父はこの体験から霊の存在を信じるようになり、変わったと思う。私もその話を聞いて益々このお助けの先生の霊力を信じるようになった。もともと、高校受験の時、志望校を決める前から「この子は大丈夫、必ず受かるから」と言ってもらっていたので、その言葉を信じ、併願にせず、志望校1本で受験したが落ちる気はしなかった。極めつけは、高1の時だったか初めてその先生に会った時だ。お礼参りに行った時だったと思うが、弘法大師(と信者は思っている)が降りてきて、いろいろと話され今はその内容はさっぱり覚えていないが、ただ最後に「大丈夫じゃ、わしがついとるぞぉ~」と威厳のある大きな声で言われた時は、とても何か頼りがいのあるものに満たされたような気がした。もうこれで嵌ったようなものだ。宗教的に嵌ったというより、この瞬間、私にとって弘法大師が神となった。そこからは弘法大師に頼りまくりだ。身代わりのお守りを常に持ち歩き、困ったことがあるとよく一人で宝塚の清荒神にお参りに行った。大きな悩み事の時には弘法大師に会うために高野山に上った。弘法大師に会いたい一心で奥の院に行くのだが、高野山そのものは俗っぽくて肌に合わないのでいつももやもやした気持ちになった。
その後、私は33歳の時にいだきしん先生に出会うのだが、第1コースが終わった時、もし先生の言うことが本当ならもうこれで弘法大師は助けてくれないなと思った。第3コースに通うようになって、いだきしん先生に会うと精神的な苦しさから解放されるので半分は先生の力に依存するようになった。半分はというのは先生にはとても失礼な話だが、当時は今と違って先生に会える機会はよくて月一で自分の都合が合わないときは3カ月ぐらい空いてしまうこともあった。その時は弘法大師にお願いするというありさまだった。ひどい話だが、当時はご利益信仰そのもので、結果がはっきり出るのは先生に会った時だけだった。それで自ずと弘法大師には頼ることが少なくなっていった。しかし、空海その人自身はとても尊敬する人で、それ以降も足跡を追いつつ、探求する対象であった。実際、当時は空海が私を先生に合わせたのではないかと考えていた。それから、もう30年近くたった。数年前のジェンダーで先生が空海に関して正確な表現は覚えてないが、覚醒するために女性を利用したのが気に入らないというような趣旨のことを言われた時は少しショックだった。高野山が好きになれないのもこの辺と関係しているような気がする。
なぜ、こんな人に笑われそうなことを書いているかというと自分の過去の神観念を整理し、完全に払拭しようとしているからだ。最初にも書いたように今は神も仏も対象としてお願いしたりしない。何とか自分の問題は自分でかたずけられるようになった。ちょっと俯瞰してみれば、多くの存在の力とともにやり遂げていることはわかる。しかし、特別な祭祀はしない。「いつもありがとうございます」と空間に向かって内から声を発するだけだ。
真理を探究することは自分にとって生きている証である。この点においては空海もいだきしん先生もはるか先を行く先達である。そしてこのおふたりがすばらしいのは真理を探究し得られた力をもって多くの人々のために活動されていることだ。特に、いだきしん先生は世界を変えるとまで宣言されている。高麗さんも同様の強い意志を持った人だ。世界を変えるということがどういうことか自分には本当の意味ではわかっていないと思う。私のように生まれてからこのかた、世の中を変えようと思ったことのない人間にとってはとても重い課題だ。それより「愛」の方が自分にとってアプローチしやすいような気がする。愛を体現できる人間になればそれは世界にとって役に立つ存在であり、世界を変えることに大きく貢献できるからだ。来年はますます内面清らかに生き、大いなる存在とともにある生命エネルギーに満ち溢れた人間になろうと思う。
いだきしん先生、いつもいつもコーチングしていただきありがとうございます。