神経のみち
ニュースでイランがイスラエルとアメリカによる攻撃を受けたと知り、先生のコンサートの応援に行かなきゃと予定をぜんぶキャンセルし、急いで新幹線のチケットを取りました。ニュースを知り、湧き上がる気持ちはそれしかありませんでした。コンサートは、自律神経に働きかけていただいているような、頭につながる神経の道を解きほぐしていただいているように感じていました。生まれたとき、自然分娩であっても、母は破水というのをしていて、私が生まれるときは大変な難産で、私はカンシとかいう器具で頭を挟まれて、ひっぱり出されながら生まれたのです。母からも父からも難産で生まれたことを聞かされているので、私は難産で生まれたことで人生決まったとまでいえる思いがあるのです。だから自律神経とか、神経の話しはまさに人事ではないのです。コンサートではそこを解放していただく痛みと共に頭のことも思い出しました。小学生まで後頭部の一ヶ所にかさぶたがありました。おできではなくかさぶたで、どうやっても無くならずあったことを思い出しました。難産の末生まれた私を育てた母、2部の最後の方で母の顔が大きくアップで瞼に浮かびました。はじめて、お母さんと、気持ちのままに呼びました。甘えたいのに素直に甘えなかった自分がいましたから。先生のピアノは激しく鳴り響き、此処にいることを教えられます。自分がやったことは自分に帰る。人の肌の温もりの温かさ、やさしさが愛へとひろがるとき、此処にいる、存在。
コンサートをありがとうございました。
