神共に
第一部 「いのちのちから」
ひと言で「いのちのちから」と言っても様々あります。
例えば、偶然を活かすちから、運のちから。
自分の内側にある悪い運は一掃して、本来性の運を活かすことを楽しむ、
とでも言っておきましょう。
そして、生きるちからが徐々に失われて生きることはとても辛いことでしょう。
恋するちから、やり遂げるちから等、
「いのちのちから」は数えきれません。予想だにしない事が起きた時、
「いのちのちから」なくしては何ひとつ、きっと何ひとつ、
楽しむことなどできないでしょう。
「いのちのちから」です。
第二部 「神がはたらく体」
神がはたらいていない体はありません。
日頃、困った時の神だのみと言いますが
困った時だけはたらいているのでしょうか。
そのような神のようなはたらきをすることがありますが
困った時だけの神だのみという人間の器の小ささが露呈しているように
見えてなりませんが、どうでしょう。
困っていなくてもはたらいている神が神です。
せっかく人間に生まれて生きているのですから。
体制に翻弄され、あえて時代を揺り動かしているような勢力に、
ともすれば不安と恐怖に陥りがちな昨今です。
神がはたらいている体を実感し
「いのちのちから」を全うするのが人生です。
メッセージだけでも救われると安堵するメッセージに感謝します。コンサートをお誘いした方に今日の一部のメッセージの内容をお伝えさせていただいていたので、よりありがたい気持ちでいました。何より私自身がありがたく、「いのちのちから」こそこれからを生きる力と実感します。ピアノ演奏は魂の語りと聞こえました。魂に導かれ、京都に拠点を創り、今日この日に京都の地にて、世界を変える先生のコンサートを開催させていただいています。魂の語りは魂に届き、生まれてきた意味や生きる意味に目覚めます。そして、余計なもの、邪気が祓われていく体感でした。余計なものは祓われ、残る魂は光輝き存在しています。そしてパイプオルガンの演奏をお聴きし、ピアノ演奏の延長でお聴きしていましたら、一気に次元が変わり、飛び上がる程驚きました。体に纏わりつく邪気など払い除けて生きていかねばならないと考えた瞬間、パイプオルガンの凄まじい迫力ある音で邪気は一掃され、一気に生きる次元が変わったのです。飛び上がりそうになると同時に笑いがこみ上げてきました。が、大声をあげて笑うことだけは押さえ込みました。次元が変わったら、邪気など無縁な世界です。気をつけて生きることは関わっている故であることに苦笑しました。ここで生きていければ、幸せです。そして私はイエスキリストにお会いできました。真の男性と見えました。イエスキリストにはたらいた神と感じる存在にも出会え、これから真実が明かされていくときめきが生まれます。男神も見え、新しい世界がはじまる機運に満ち、今までの世界は完全に変わり、新しい時代が拓かれると感じました。
京都コンサートホールに向かい、比叡山を降りる時に、「東アジアをひとつに」の悲願を実現したく京都に拠点を創ったことを考えました。昨夜、八坂の塔にて吹いた風は、八坂に「高麗」の拠点を作った時のことを思い出す風でした。当時は総連の代表や議員、仏教会の理事長にお会いし、東アジアを一つにと願う気持ちをお伝えし、ご協力をお願いしました。が、この動きによっては道は作れないとわかり、先生のコンサートを京都にて継続的に開催することが道を作ると考え、開催させていただいてきました。今日はこのことも心に浮かび、先生のコンサートにいろいろな方々にご参加いただくことで道は創っていけると見えたのです。悲願の実現に向かい、再び新たな気持ちで動いていく気持ちが生まれました。八坂に拠点を創りましたのは自分の気持ちというよりは、魂の導きと感じています。魂に語りかけると、魂が動き、人が動くことを最近はよりわかる経験をしていました。一部では魂通信を感じ、魂と魂は共鳴し、世界中の人と出会っていける未来が見えました。この世の権力、地位がある方にお会いしても道は作れませんでしたが、魂の出会いが生まれれば、状況は動くと見えました。
第2部では、神に通じ、神と共に生きる世界に身を置けました。ここで生きていけば闇も邪気も無縁であります。過去の苦しみや辛さは、神と離れた故とわかり、私は何故神と離れてしまったのかと考えても答えはなく、今こうして神と共に居れますことがありがたいばかりでした。ピアノの音では、朱蒙様にはたらいた神、高句麗が生まれた時に共に在った神と表現する図形が見え、背中から後頭部が震え、明らかに神秘的な力を感じました。この時もはじめは神共に在ったのに、何時、神と離れてしまったのかと高句麗滅亡という結果を考えるのでした。人間は神と共に生まれていても、神と別れてしまうことの意味を考えました。今日のメッセージでずっとはたらいてくださっている神との表現に涙しました。そして真にずっとはたらきかけてくださっている神と出会いました。今日はずっと神と共に在り、生命に光が注がれ、体は温かいばかりです。ずっとここで生きていきたいと心から望みます。神と共に生きていれば、今まで経験したような苦しみや悲しみはないことがよくわかりました。神と共に生きていれば、心はすこやかで、平穏で幸せです。神と離れ、何者が作ったかわからない俗世で生きることは苦しむばかりです。神共に生きる時、一切の無駄はなく、必要なことを瞬時に行い、素早い動きで状況を動かしていくプロセスを教えていただきました。これからの生き方であり、動き方を教えていただき、過去の繰り返しは終わります。この動きができれば東アジアがひとつにと願う気持ちも世界の平和を望む気持ちも実現できると見えるのです。生命やさしく、温かく、真の望みが叶う時代が訪れた喜びが生まれ、神と共に生きていくこれからの人生に希望を見出します。アンコールでは、おおいなる存在に出会いました。私には明らかに存在が見え、心臓で出会い、心臓とひとつになれたのです。おおいなる存在は先生とひとつであります。おおいなる存在あらわる時代は、人間は根底から変わり、世界も根底から変わることが明らかに見えました。これから人間は変わり、世界は変わります。これほど希望ある出来事はありません。
日本各地の方々にお声かけをさせていただき、皆様にお会いでき、これだけの経験ができますコンサートを共に経験させていただき、大変うれしいです。やはり先生のコンサートは全国から一斉に集い、皆で経験する歴史的コンサートと身にしみ感じます。ありがとうございます。