KEIKO KOMA Webサロン

神共に


天井に轟く雷鳴の音、地面を叩きつけるように激しく降る雨の音、迎賓館の中庭のテントが吹き飛ぶのではないかと感じる突風により吹き抜ける雨に、皆びしょ濡れとなり笑うよりない開演前でした。ただ事ならぬコンサートの幕開けであるとは自然のはたらきにより教えられました。今日から、真に真剣になって先生の一音一音を聴かないといけないと昨夜から仕切り直していたのです。その気で椅子に座っていると、ピアノの音がお腹の底に響くと同時に音が宿るように生命に溶け込んでいくのです。まぎれもなく、お腹の底には神が宿っていると確かにわかる体感でした。先生のピアノの音は神そのものでありました。揺るぎない存在が生命の内に宿り、新しい世界を創り出しています。神共にはたらき、活動する経験をさせていただき、快適であり必ず実る動き方を身につけました。楽しく、やり甲斐ばかりを感じ、何でもできる気概に満ちています。

休憩後のお話では、世界が大変危険で厳しい状況を受け止め、気を許さずに生き、活動していくことを肝に命じます。アフガニスタンのこと、パキスタン、そしてその背景にあるサウジアラビア、イラン、イスラル等々、どこの国の人とも縁があります。2001年にエチオピアでのコンサートを開催した時に全世界へコンサートを発信しました。その時、ニューヨークの9.11があり、アフガニスタンだけは案内できませんでした。全世界の中で唯一案内できない国でした。今、全世界に再び先生の存在をお伝えする気で生きています。先生のお話から宗教が一番の問題であり、起こる問題の元は宗教にあるとのお話を考え、動いていくことが大切と考えます。以前イランの田舎を回った時に、体を隠す衣類のボタンをかけていかなっただけで、殺されると感じる血相で私を咎めた年老いた男性は私には人間とは見えず、宗教による教義を犯すものは殺すという悪霊に取り憑かれた人間ではなくなったものとより映りませんでした。エチオピアの田舎でもいきなり殴りかかられました。現地の人に聞けば、熱心なイスラム教徒の地域でしたので、女性は外を歩くこともないと知りました。女性である私が外を歩いていることが許せなかったのだと知り、恐ろしいと感じました。イランのペルセポリスコンサートを開催する時も実施するにあたり、地元の熱心な信徒の反対にあい大変困難でした。聖なる地を犯されると思い、生命賭け阻んできます。コンサートは何にも邪魔されずに、無事に終わり、終了後には全ての人が穏やかに先生のコンサートを喜んでいました。宗教の枠を超える先生の表現に驚きました。世界各地にて触れる宗教間の争いや理解し合えずに力を合わせていけずに、子供達が健やかに生きていけない社会となっていることはあまりに悲しく、なんとしても変えなければいけないことといつも強い意志が生まれます。先生がお話くださいますことを理解していくことが大切と考えます。日本での宗教観とはまるで違うことも先生がイランで初めてのコンサートを開催する時に「熱誠」というコンサートメッセージにて表現していただき、コンサートで経験もさせていただいたので、はじめてわかることでした。同時に井筒先生のイスラムの本をイラン滞在中に夢中で読み、わかりはじめたのです。起こる現象を見、経験もない状態で簡単に解釈することも批判することも当然してはいけないことはよくわかりました。そのことを踏まえ、今後の動きを考えていきます。今日も先生のお話を伺い、核戦争にでもなったら、取り返しがつかない危機を体で感じ、先生がおっしゃるように寝ている暇はないとは深くうなずきます。神宿る体となり神共に動くことを教えられ、身につき、今後必ずやりきることが具体的に見えてきました。必ず実行します。世界の平和を実現する活動に賭けていきます。ラストの演奏は胸ひらき、無限な世界と通じ、内から力が湧き出づります。夜になり胸が筋肉痛のように痛みはじめています。固く閉ざされた胸がほぐれはじめている痛みと感じ、迎賓館でのコンサートの経験は真にすごいことと畏れを感じ、感謝よりありません。

全てを祝福してくれたような虹に真のおおいなる希望を見ました。あれほどくっきりとマーブリング色のように見えた虹を見たことはありません。自然が味方しおおいなる存在が共にある活動に感謝します。

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高句麗伝説へ向かって