KEIKO KOMA Webサロン

神のあらわれ


府中の森のコンサートホールへと向かう道は木立が多く、生命やすらぐ道です。所用で久しぶりに三鷹市役所に行き、いだきをはじめた頃の息吹を感じていました。このエリアはいだきを始めた場所です。当時のように、ゼロから、人の生命を助けたい一心で先生のことを必死でお伝えしていきたい気持ちでアントレプレヌールサロン後にコンセプトを言葉に記し、新しいスタートを切りました。渋谷のコンサートにて過去は完全に終わりました。今日からは新しい人生を生きるコンサートを経験できますことが嬉しい気持ちでコンサートを迎えました。

第一部は、「心に孕む聖なるちから」です。

「心は体内にあり、もともとは動物の内臓を指していましたが、人間の体の目には見えない重要なはたらきを意味するようになりました。心といえばある一点だけに集約されているように思われがちです。体内という小宇宙ともいってもいいような環境に、おのおの体内のどの位置を無意識のうちに心ととらえているかということで、おのおのの心のあり方が決まります。なかなかお互いの一致を見出せない理由でもあります。聖なるちからに反応する心はどのようでしょう。」

自然に心に聖なるちからを身籠るような感覚で先生が演奏される音をお聴きしていました。心は心臓にあると思っていましたが、先生の音をお聴きし、お腹を感じていました。お腹に聖なるちからが入ってきました。やがて音は背骨に入り、真に神聖なる力が背骨に注がれ、新しい背骨にしていただいているような体感でした。体は熱く、汗まで滲んできました。開演前は寒いと感じ、身も痛んでいました。わさわさ感じるエネルギーが体に辛くもありました。痛むところに鎮痛剤を塗り、開演を待ちました。その痛みは聖なるちからが注がれ、なくなりました。聖なるちからによって治療をしていただいたような体感でした。そして新しい生命としていただいていると感じました。聖なるちからが背骨から入ってきた時の図形が今でも鮮明に見え、体でははっきりと覚えています。龍のような大蛇のような存在がものすごいエネルギーとスピードで体内を動きまわっています。神体験と感じました。只事ならぬ体験でした。心の中で凄いと何度も叫び、歓声をあげていました。興奮するのは当たり前と感じる人智を越えたエネルギーが注がれる経験でした。「おのおの体内のどの位置を無意識のうちに心ととらえているのかということで、おのおのの心のあり方が決まります」とのメッセージを心に聴かせていただきましたので、私は意外にも背骨であったので、生きる姿勢を心と無意識のうちにはとらえているのかと感じていました。背骨から全身にひろがる聖なるちからを感じていました。生きて生まれ変わるような経験であると感動します。

第2部「心から愛へ」

「種々様々な思いがあります。勘違いも多いです。自己の心でとらえていたことがそのままスムーズに愛へと進むのでしょうか。進むと信じている方もいらっしゃるでしょう。冷静にしばし考えてみたらおかしなことです。そうであっても心のはたらきが愛へとスムーズに進むことは多いです。まずしっかり心で次へというプロセスをあらわします。もちろん人の関係ではこのややっこしいことのないままに同時発生する愛はあります。現代はどうでしょう。なかなか難しい状況でしょう。人間中心の諸相では人類の未来が見えないほどの厳しいです。」

パイプオルガンからピアノ演奏への流れは神と一体となる経験となりました。私は神を崇めたり、手を合わせ祈る、偶像崇拝的な観念が長年染み込んでいます。昨日のアントレプレヌールサロンにてイエスキリストのお話をお聞きし、真の人間とは・・をわかることができ、感動しています。コンサートメッセージに表現されました」「人間中心」ではなく、かといって神中心でもなくと先生がお話しくださった時、真の人間とは。。をわかり、胸の内に真の光を見ました。今日の演奏にて真の光は神と一体となり、神は完全に対象化する存在ではなくなりました。2部の最後のピアノの音からは神の現れを確かに見ました。今も脳裏に鮮明に見えています。神と一体となり生きていけるとは言葉によっては表現し尽くせぬ幸せに包まれます。今日もコンサートホールの一席に身を置けます幸せに深く感謝しました。この幸せのままに、いだきを始めた頃のように、気持ちだけでいだきを人様にお伝えしたい気持ちが生まれます。そうできる人生は最高に幸せと感じます。愛は神なくしては生まれないと感じました。神共に生きる人生は至福の喜びを感じます。ありがとうございます。

 

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ヘルシンキ国際空港からです。搭乗しました。
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雪景色
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聖天院にて