KEIKO KOMA Webサロン

神と共に喜びあえる生命


神と共に喜びあえる命という2部のメッセージをお聴きしたとき、自分は神と共に喜びあえるような生き方をこれからは出来るのだろうか、と少し不安が過ぎりました。

1部ではこれでコンサートは終わりと感じるほど感動しました。まだ一瞬眠くなることはあるのですが、意識が朦朧となるとき、普段の頭の状態や、心配、思いなどその一瞬にかいまみて、あぁやっぱりね、と納得したりします。

2部でお聴きしたメッセージ、神と共に喜びあえる命とは、、瞬間頭のなかにある反応は、人に優しく生き、自我など無く生きていなければという不安が湧いてしまいました。当然、そのように生きていきたいのですが。。。自我意識があることは自分がいちばんわかっていることで。。

あるとき、先生の左手の連続音の激しい重低音の演奏から右手のピアノの高音が流れたとき、ピアノの音には聴こえませんでした。耳を疑うほど、まるで違う方向から聴こえた音でしたが、やっぱりピアノだよね、と確かめてしまいました。耳で聴こう聴こうとしてしまうことも違うのだと感じます。

神のエネルギーは身体に深く影響しました。この度も胸がこれ以上ないほど限界を超えて広がり膨らんで、痛いくらいです。今までの身体を変えていってくれていると感じる巨大なエネルギーは、お腹、胃、胸を嵐のように通り抜け、最後、これ以上なく、姿勢は完全に変わりました。神と共にあるいのちはまったく頭の解釈を超えています。ほんとうにびっくりしている身体でしたが、内で感じていけたことは、これ以上ない幸せです。また、ややもすると対象化する頭が出てきそうになりますが、アントレプレヌールサロンを経てのコンサートだったので、神と共に喜び生きる幸せを内で経験させていただき、最初の不安はすっかり消え、いのちのまま生きていけば対象となることなどないのだと、たくさんの感動のなかで今年最後の東京のコンサートの一席にいられたことに安堵しました。

幸せな経験をどのように、とかはもうやめます。来年はあたらしくです。

どりーむホールとはやっぱり素敵な名前です。

今年最後の東京でのコンサートを本当にありがとうございました。

 

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府中の森芸術劇場ウィーンホールにて
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インフルエンザにかかるのではないかと
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三鷹市芸術文化センター風のホールにて