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神と一体


中心とは一体どこのことを言うのかはじめはよくわかりませんでした。ある瞬間、中心がわかると同時に、中心から全方位へ放射状に生まれていく勢いとエネルギーに驚きました。始まりは一つ、一つから次々と現れていく神々の世界が空間に立ち現れました。神の世界はこの自然界の中に満ちていることを経験しました。一寸の虫にも神の現れを見、流れる水に、雨に、草木に神の現れを見、神は自然の中にあらゆる姿を現し現れていることに驚きました。また、宇宙には人間の時間観念とはまるで異なる時間があることを感じる一瞬もありました。過去、現在、未来はすべて同時に存在しているのかもしれないと感じる瞬間でした。神代の時代は、決して過去の記憶のはるかかなたなどではなく、今こうして今の中に存在していることが不思議なのです。人間にはどのようにして神は働いているのだろう、と湧く疑問は、第2部に解けました。
神は己と一体となり、神の働きによって己を乗り越え、神技となることを経験しました。例えば人が筋トレをし続けて徐々に筋力を高めたとしても、それだけではどこまでいっても自己の限界を超えることはできないことは自明でした。神と一つとなるとき、己の限界を超え、現れる技こそ神技でした。日本人は昔から神と一つとなり技に磨きをかけてきたと知りました。武道などの日本的「道」の極みは神と一体とわかりました。「道を極めてこそ生きられる生命 真」と以前高麗さんが私に書いてくださった詩が思い起こされます。道を極める、それはまさに己を超え、神と一体となることとして今日のコンサートでは理解されました。道は、いだきで生きること、生き続けることです。霊界、魔界、世俗も含め、道を外す先は様々あり、惑いの種もあちこちに落ちていて、よっぽど真剣に生きようとしなければ、あっという間に道から外れてしまうことも重々承知します。日本人は道を極めてこそ日本人であると感じると無性に嬉しく、また西洋の神とはまるで異なる日本の神の働きには素晴らしい内なる輝きと誇りが生まれてきます。途中突然腹痛に襲われ、子宮が痛み苦しみました。無視しようにも無視できず、考えました。ふと歴史的にこれまで女性が道を極め貫くことはできなかった、悲しいと感じると、突然身体が熱くなり始め次第に痛みが引いていきました。どんな才能をもって生まれても、女性であることでその才能を開花させること、活かすことなく生涯を終えるのはごく当たり前であったと感じます。祖母の時代で、親戚の女性たちは皆あきらめてきているのです。しかし、今とこれからの時代は、女性であることでその才能を活かせないとしたら、今後人類に未来はないと、それほどひっ迫した今を感じました。人類が生き延びていくには、女性も男性も一丸となって、新たな時をつくっていかなくてはならないと感じます。道を極める鍛錬を続けていけば、それを助けてくれる人にも出会え、また共に道を極めていく人とも出会えると教えられ、勇ましい勇気が生まれます。最後には女性に生まれた私に語りかけるような優しい柔らかな存在に包まれました。女性らしい、男性らしいと人間がつくったちっぽけな枠組みももうすでに意味をなさないと感じられます。
女神、男神の両方を兼ね備えた独神アメノミナカヌシ、高天原には女性と男性が一つになれる世界があるのでしょうか。
生命の始まり、人間の始まり、そして日本人の始まりまで経験させていただき、すべては自己の存在の元と出会う連続です。天性のコンサートをしてくださった時点では、天性は正直よくわかりませんでした。しかし今、源を辿る中で天性なることを発見します。

素晴らしい日々の経験を心よりありがとうございます。

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