神とつながるみち
コンサートが終わり、三鷹のコンサートホールを出て車を走らせる時、いいようのない喜び、幸せを感じました。亡き母が喜ぶ顔が見え、大地からは喜ぶ魂がたくさん出てきていました。私も共に喜ぶ幸せを噛み締め、心からの感謝の気持ちが生まれます。素晴らしいでは済まないですが、とにかく素晴らしいコンサートをありがとうございます。
第一部「楽して楽しく」
「何かと緊張にかられやすい社会状況です。学校教育にはじまり、集中力と緊張を混同して緊張させることによって集中力を削ぎ落としていきます。緊張して頑張らせます。無駄にエネルギーを使い、疲れやすく、それでも頑張るという強迫めいた中で長い間育ち緊張体質が出来上がります。成人に達しても一向に緊張体質から抜けられません。内面的に豊かといっっても緊張のままでは一過性になります。これはもったいないでは済みません。楽してとは、何事も全身の力を抜いて行うことを意味します。宮本武蔵の五輪書に解かれている奥義は、力を抜いて抜いて抜ききるということです。力を抜く修練です。力を抜いて何かをなさないと、何ひとつ楽しくありません。笑顔は生まれません。楽して楽しく。」
第2部「見ることでも、どのような言葉をもっても確認できない本質」
「愛も見えず、共感も見えません。同情、同感などは、見て聞いて言葉によってわかります。常日頃、同情、同感は時によりとても大事なことです。比較することはできませんが、愛、共感はともすると、同情、同感の背後に隠れてしまい、いつのまにか愛、共感という本質を見失ってしまいます。よって、同情、同感は、緊張体質をつくりあげていきます。愛、共感は身体全体で特に内面で新たにいのちが生まれるように、さらに育まれるようにして、いのちのちからとして理解されます。見えないが故に厄介者にしてはいけません。なにせ、人間の本質ですから。」
今の状況をそのまま表してくださり、解決へ向けての演奏をしていただけますことに感謝し、一席に座らせていただきました。力を抜けと言われても力を入れながら力を抜こうとし、常に緊張し生きています。歯軋りや、腱鞘炎、それに伴う体の不調も力を抜いて生きることを覚えれば解決するとわかっていても、力を抜くことができずにいました。演奏により、宮本武蔵の五輪書の奥義を見せていただいているようでした。男の人が力を抜いて舞っている光景が見えました。体は神とつながっています。この体が神とつながっていれば、自然と力は抜けていくのだとわかり、ありがたい気持ちでいっぱいでした。神経とは神のみちなのだとわかります。その神経が常に外界の監視、管理する意識や悪魔的なエネルギーにつながっていては緊張するよりありません。緊張し、さらに悪を引き寄せてしまう図形がよく見えます。神経は疲れ果て痛むばかりです。今日、ミーテイングの時に話していたことですが、自分の体の状態を見ると、「痛めつけられる」という表現がピッタリと感じていました。共にはたらく人が仕事ができないことも体は痛めつけられているように感じ、お掃除がきちんとできないことも痛めつけられているように感じ。。。と人と何かをすることは完全に志を共にし、世界の平和実現という大きな目的に向かい常に人間とし真っ当に生きること、能力をあげることを目指し、成長し続け生きていかないと、痛めつけられると感じることが多かったです。実際、身は痛んでいました。今日のコンサートでの経験は神とつながる神経が光に包まれ、おおいなる存在あらわる光の空間に溶け込み、光輝き豊かでした。とても癒され、痛みがとれていくことがありがたかったです。身が痛む状態をつくったのは自分です。人生は人のせいにはできないと言い聞かせ、いだきをはじめさせていただきましたのは私なので、きちんとはたらき、決着をつける気持ちばかりがあふれてきました。どのようにし世界中の人に先生の働きをお伝えし、世界の平和を実現するかばかりを考え演奏を聞かせていただきました。天の彼方より一条の光が差し込み、この世に誕生した場面が見えました。自分が生まれてきた意味を実現し生きていけば、いだきは伝わると見えます。まずは自分が真の自分を世界に表し人間とし真っ当に生きることは基本です。その時生まれる気持ち、本音を表現し続けることで道は作られると見え、胸ひらき、希望あふれる未来を感じる演奏には、深く感動しました。ロマンチックで、ダイナミックで、宇宙的で、無限な世界で生きる愛、喜びに満ちています。悲しいことはこれ以上ない程悲しく、それでありながら、悲しみより深く、大きな愛があります。感動に震え、泣くよりありません。悪魔に支配された世界が一変し神につながる世界となりました。この社会で生きることは常に対象化する意識により監視管理されていますので、緊張するよりないとは常に感じていました。神の世界となるなら、生命ひとつに生きていけますので、緊張するとか力を抜くということもあえてしなくても力が抜けている状態であることを演奏をお聞きしていると経験します。そうなっています。生きる世界が神聖なる世界であれば、力が抜けて、本来の在り方で生きていけます。コンサートホールの一席に座り、ピアノの音が鳴ると、全身武者震いが起こり、生命喜んでいます。今日もこれ以上ない幸せを経験させていただきました。明日も開催されますことは喜びです。ありがとうございます。