礼
昨日も深夜まで魂の表現をする場をつくってくださり、誠にありがとうございました。本当にこのような場を作ってくださらなければ、変わることはなかったと感じる、要の要の場です。そうでありながら昨日は途中から思考がピタッと停止し、本当に高麗さん、克哲さんにはご負担をかけてしまい申し訳ございませんでした。やはりわかって、認めて、変わっていくことが礼と考え、表現だけはやめずに先に進みます。
昨日は表現が止まると頭、前頭葉のあたりにモヤがかかったように感じ、目も重くなってきました。眠くは全くないのですが、焦点もどこにも合わせられずボケてきます。克哲さんには大義名分から入った時には全然違う表現になってしまうことをご指摘いただき、これは自分がよくやっていることとよくわかりました。違う表現を続けられないように思考が停止するのはある意味良い頭と仰っていただいたことは自分にとっては救いでした。魂は偽れません。一昨日魂のルーツを垣間見る表現が本当にポロッという感じで生まれ、そこから様々なことが紐解け始めました。ただ、それでも尚過去の生き方を繰り返している感じがしたので、何かを認めていないとはわかり、考えました。
昨日の自分の内面の状態からわかったことは、逃げてると言うことでした。私は自分からど真ん中に入っていくということから逃げてきた人生でした。小さい頃から大人数で何かをすることが苦手で、外から見てて、声をかけてくれる友達とだけ付き合っていました。今思うと、いつも周りに誰かいたので、こんなにも身勝手であるということに気づかなかったです。それが続いている内は、良いか悪いかではありませんが、友達は多く、いわゆる人気者でした。ある時、きっかけは色々あったと思いますが、ほとんど一人で過ごすようになりました。自分からも離れ、友人も用件がある時以外は特に近づいて来るということは無くなりました。それは過去のことなのですが、人生、ずっと遠くから見ていて、自分からど真ん中に入っていくということをしてこなかったです。どこかそういう人をいいなと見ていました。これを憧れと言うのかとハッとしました。人と一緒に何かをする時に、これほど足を引っ張る人間はいないと感じ、もうやめようと決めました。
行商前に気づかせていただき、大変ありがとうございます。本日は高句麗伝説上映会に参加させていただくことが大変楽しみです。どうぞ宜しくお願い致します。