礼を尽くし
高句麗伝説を無事に開催でき、言葉に尽くせぬ安堵、解放感があります。京都に向かう時、先生から無事に終わって、何かがすっきりしただろう、とおしゃっていただき、思わずすっきりどころではないのです、と答えていました。私は自分の内で生死を分ける覚悟で臨んだのです。事情は詳しく書けませんが、今までとは全く違う状況にあり、無事に高句麗伝説を開催できれば生きていけると賭けていました。父の命日であったので、決断できたのです。この日にスポットライトが当たるように高句麗伝説開催と見えたので、おおいなるはたらきかけと受け止め、向かったのです。動員も今までとはまるで違う動き方に取り組みました。以前のように各地で講演会を開催する機会もつくれず、コロナ禍にあり、自粛の空気をひきづっていますので、以前と同じ動きでは間違いなく動員できないことは目に見えるようにわかっていました。そうであるならばどうするかを毎日考えました。本気で考えると、いつもお告げと表現するはたらきかけがあります。見えたままに実行することの連続の中で、ある時、この方向で動いてみようと見えるものがありました。その動きは「営業しないで売る」という表現になることを東北センターでの語る会にて先生がお話くださったことでわかりました。結果を案ずる間はありません。ひたすら見えたままに表現し動きました。佳境に入ると、具合が悪くなる人や動くことができない人が増えることは今までのパターンでした。この度も「今日こそは」と要と見えた日は人はいないという状況になりましたが、嘆くことも困ることもせずに、少しの人と共に黙々と動きました。もうまわりがどうであっても動きを調整することは一切しないと決めると気持ちよく動けます。おおいなる存在は完売という結果を与えて下さいました。私は完全に新しい動き方を覚えることができ、心より感謝の気持ちで一杯です。
前夜は苦しみ、眠れずに疲れ果て、とにかく無事に会場に着くことで必死でした。開催3日前頃より、目に見えない世界では魂が突進してくるような勢いで集まってきました。物音があちこちでするのです。不思議な現象も多いです。私は耐え難き苦痛を背負い、会場に向かい、無事に着くことができました。まずは生き延びたと安堵しました。リハーサルにて涙こみ上げ、体に張り付いていたたくさんの魂は解放されたことを体をもってわかります。ここも無事に通ることができ、感謝します。衣装を着ることもでき、ほっとしました。本番も途中、胸が苦しくなり懸念しましたが、無事に通り抜けることができました。一瞬一瞬、気を抜けず、いつ倒されるのかと、詩に詠んでいるように戦の場面にいるようでした。隙あらばやられるとは身をもって感じていました。アンコールにて父が共に居てくれ、やっと正気に戻りました。高句麗伝説開催を決めた時からある何かに向かっていました。昨年の12月25日に三鷹公会堂にて開催した高句麗伝説が終わった瞬間、これで終わりと聞こえたことがいつも心にありました。生まれ変わらないと次はないと感じていました。数年前の奈良での時も終わった時に甘く見ると次はないぞ、と聞こえたので、関わる人に伝えました。誰も本気で聞いてくれることがなく、私も気のせいかと忘れようとしましたが、恐ろしいことに次の奈良での開催時には当時関わっていた人でこのことを告げた人は全員いなくなっていました。聞こえたままに次はなかったのです。このことがあったので、私も真剣に考え、自分を変え、生まれ変わろうと必死でした。コロナで開催予定であった高句麗伝説は中止となりましたので、11月1日に賭けていたのです。私だけが賭けているのではなく目に見えない世界では総動員となりこの時に賭けていることは真のことなのです。目に見えない人や人間のことを理解できない人には受け入れ難いことなのでしょうが、この現実の中で生きている私にとっては真であるのです。故に甘く見ていると大変なことになると感じるのは自分自身が身をもって経験しているからです。畏れを知らない現代人の愚かさを見ることは耐え難きことであります。決して大げさな表現ではなく、私にとっての11月1日高句麗伝説は生死を分けるものであったので、生きて乗り越えることが出来、未来が見える今日という日を迎えられますことに感謝よりありません。
えりかちゃんも好太王様があらわる前には爆睡状態から目が覚め、ずっと真剣に聴いていてくれたことを聞き、お腹の中にいる時から好太王様の詩になると、動いていたと聞いていましたので、魂は通じていることに畏れ入ります。大人がそうでない状態で生きていることは恥ずかしい限りです。礼を尽くすのが人間と常に考えています私は世界中の魂が集う高句麗伝説の場は、身を正し、臨むことが礼儀と考えています。この度の高句麗伝説ではこのことも生命をもって教えられ、これからの人生に活かします。
今日は高句麗伝説コーヒーを3回淹れました。姫が立ち現る時、姫は今日は休息の日であると伝えました。昨日全てのエネルギーを出し尽くしたので今日はお休みと言っているのです。高句麗軍団も同様の反応でした。やはり魂はこれ以上ない程はたらいてくれていることをわかり、これからは目に見えない世界のこともよくわかっていかねば生きていけない時代と教えられます。今後生き延びていける生き方は全方向で生きることを生命丸ごと体感できた昨日の高句麗伝説です。目に見えずとも存在しているあらゆる世界のことまでもわかり生きる時代です。先生が演奏される世界から経験させていただいていますので経験を活かし、生きる道を創る時と受け止め、未知なるこれからにときめきが生まれます。
明日も、すでに今日となりましたが、京都にてコンサートがありますことはとてもうれしく楽しみでなりません。夜遅くに比叡山に着きましたが、仲間に手伝っていただき、外は土砂降りの雨でしたが、お浄めの雨だねと話し、明日の神聖なるコンサートに臨む為に車を洗車し、備えました。自然の生命もコンサートに備えてはたらいてくださっているのです。人間も礼を尽くし備えたいものです。海外一ヶ月高句麗伝説コンサートツアーの時は毎回本番前は雷鳴轟き、豪雨となりました。先生はお浄めとおっしゃいました。真にそうでした。砂漠で雨が降らないテヘランでの高句麗伝説の時も雷と突風、豪雨となり、イラン人があり得ないことと目をまん丸くし驚いていました。たくさんの奇跡を見せていただいています。単なる偶然とし簡単に考えることはやめ、歴史が変わり、世界が変わるコンサートであることを自覚し、備え、万全を期し、臨みたいと考えます。ありがとうございます。