礼と神
生きる姿勢、生き方を直す時となる盛岡での講演会、講座、コンサートに参加させて頂きありがとうございました。盛岡の講座にて感謝や有難うということに対する問いに礼儀というお話しをして頂きました。はっとしました。盛岡のコンサートでも「礼」についてメッセージを頂きました。「礼」を失することになっている社会、集団、会社、経営者、管理者、一人一人、自分であると自覚自省します。自分が変わることで社会を変えていかなければいけません。変えるべき社会は敗戦後一気に日本人の精神、魂が米国によって骨抜きにされたままの社会。その社会は慢性的にじりじりと落ちているように感じます。その社会を変える自分になる為に芸事のように日常の事や仕事を礼を失することにならない生き方、生きる姿勢を学び身につけます。
礼という見方から礼と神、礼と善とはどういう関係やつながりがあるのかとおもいました。神は善であり、善は神であり、礼に神宿る。礼に顕れる真の姿、存在。全身善になることで神と一致し、頭のてっぺんから足の指先まで善になることで神に出会えることを講座にてお話し頂きました。「我々も格好いい状態でお迎えしなければ「礼」を失することになります」神々は美しくて強い、格好いい生きる姿勢をコンサートで魅せて頂きました。盛岡の星空を出発して「故郷とも云える広大な宇宙」から「銀河鉄道にお乗せして盛岡の地まで戻ってきました」とは最高にロマンチックな夜です。「時の到来を待つようにして存在していました」神々はいだきしん先生よりお迎えできず、先生いらっしゃる今の時代が神々が到来を待っていた時です。「この地上で活躍された神々」にも「今一度、この地上で活躍していただけるのか、それとも下車しないで宇宙の故郷にお戻りになるのか、どうなさるのでしょう。」とは、世界が変わりうる人類史上最初で最後の時という唯一の時代の今であることを畏れ多くも分からなければいけません。神々にも手伝って頂き共に実現していく世界を生きます。ありがとうございます。