瞳
正に人生の大きな節目の一日をありがとうございました。
午後に、克哲さんと家電量販店へお供させていただくめぐりに与りました。3月31日、コロナ禍における盛岡コンサートにて、お身体は大変でしょうに誰よりも動き、考えて会場の消毒をして下さったお姿に心打たれ熱い涙が込み上げたのでした。以降ずっと、毎回毎回新しい準備をして下さり、これ以上ないほど対策を整えお客様をお迎え下さっています。ウイルスや家電の特徴をとてもよくご存知で、電気店の方も驚くほどお詳しい事に感動しました。大切な方を守ること、共に生きることや一つの物事を徹底的に行う姿勢を学ばせていただきました。そして何より、澄んだ瞳の美しいこと、どこまでもやさしい笑顔やものごしのやわらかい事に、IDAKIで生きることをわかり感謝しました。
この度判断を間違ってしまい、高麗様に大変ご心配をおかけしてしまいました。いつかビデオ講演会で話されていたように、ついと自分を正当化する事を口走っていたと気付き、それも含め何故こうなるのか考えました。思考パターンの癖で、気を回しすぎたり余計なことが多いです。このところ気づいていた全体的なこともその通りで、最も必要な事は新しい方々にIDAKIをお伝えさせていただく事であるに関わらず、わけのわからない人に時間や労力を使うことが当たり前となり習慣にさえなってしまっていたのでした。
心の底からご注意下さる高麗様の瞳を忘れません。思い出しただけでも身体が熱くなり涙溢れます。皆の無事をただただ案ずる王の瞳は深く広く、美しく強いです。この気持ちをわからずして生きていても仕方がないと考えます。
時は満ち、気の遠くなるような長い歴史を経て、今、人類にとって最初で最後の「時」と考えます。我々はとても重要なポジションにあることをわかります。こうしている場合ではないこと、「愛」を言葉でなく瞳で告げてくださり心より感謝申し上げます。
いだきしん先生によります「死について」にて、このところ感じていたことを先生がそのまま話してくださいました。仕事柄、死に方は生き方。生き方は死に方であると痛いほどわかっています。葬儀や墓についての世間の情報はいかにいい加減なものであるか、終活と呼ばれる事にいたっては、表面的で益々酷いあり様が蔓延しているので、そこを打破する何かをと電子書籍の出版などさまざま考えているところです。しかしわかっているつもりの怖さを全身で思い知りました。
「時熟」とは初めてお聞きしました。それとは逆に、思いを残し、突然人生を終わる事を話された時にはドキっとしました。最悪の事態であるが故に考えているつもりで逃げていると気づかせていただき感謝申し上げます。
「大いなる愛」をわかり、空間すべてで経験させていただきます尊い講座やコンサートの機会を最大限に生かしていきたいです。正真正銘の「ラストチャンス」は自分一人のことではないことが身に染みわかります。語らずして語る瞳の尊いことこの上なく、愛に抱かれ輝き生きる人生です。
新しいはじまりの時をありがとうございます。
本日も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。