瞳といのちに映る光
今日の溢れ返るような光の情報と気付きを未来の為に表現し確かな事にしていきたいばかりです。
ひとつ、先日のヤマハコンサートでの途轍もない光の表現でまだ100%とした時の1%なら、その大きな1%があったから即座に人の動きが変わったのだと分かりました。1%でも表現されたなら人は変わり動くよりなく、社会も変わる終わりのない始まりを目の当たりにしているのです。今後のコンサート、高句麗伝説でバックはしないとのお言葉も命に刻みます。私たちも表現し続けながら元気で後退せずに生きていく事が生きる事です。3月27日の真を教えてくれる光が宇宙に充満する時のために生きます。
ヤマハコンサート後の上映会もビデオ講演会も応用コースも衝撃的なほど初めての経験で愉しくて笑いばかり込み上げるのです。同時に地震が来るような気配とびわ湖コンサートに向かう不思議な空気が京都と大津には立ち込めていて気は抜けません。
高句麗伝説上映会で各地の詩と音が流れるように生まれるなかで、人間の人生は感動する人生と確かにわかる瞬間、何の感動もなく生きている現代は不思議なほど妙な社会と思いました。高麗さんの詩、先生の音楽は人間の真の幸せや関係性の豊かさや愛があれば悲しみもあり、その全てを通じて人間の存在証明を表現されています。無性格、無機質になりかけていた過去、この表現に触れて涙し感情の豊かさが養われてきました。好太王様の御声が今回は京都でそのまま聞こえ、響き渡ったこともまた嬉しく感激しました。
そのあとのビデオ講演会で美味しいコーヒーを頂き、お話をお聴きしました。高麗さんが変身されたと全てから分かるお話でした。聡明な人の仮説も新説も愉しくて、自分の新しい思考が構築されていくのが心地良いばかりです。
ヤマハホールにて光が表現されて自分の光も明確になった経験から、人や植物の光に出会うと自分のいのちが光るように喜びが広がり確かに光を体感する瞬間がとても愉しいことです。遠くから先生や高麗さんの瞳を見ているとそこから見える情報がとても多い事にも今日は驚き、瞳の中に真実がある方々に出会えている事に感謝しました。光と光が出会い広がる時が始まっていて、光でない人間の違和感は増していきます。物理的に見えないものの豊かさが明らかに命の中で増していく日々の経験であり今日でした。
権力についても新たに考える機会を頂きました。強力な権力を持つ人が私たちの自由な発言や、いのちの中での発見と同じ言葉で全く異なる概念を示している事について、目に見えずとも強力な暴力のように枠をつくられていたと気付きます。
既に成された光の表現からバックしないと仰った事が何より速く大きい動きと命で分かり、びわ湖コンサートに備えます。有難うございます。