真理の探究
京都応用コースに参加させたいただき、ありがとうございます。昨日は一度東京に戻り、10月からいだき講座を受講する方とお会いしていました。向かっていく方向が見えて安堵しました。いだき講座に出会われるタイミングは、まさにこの時なので時間やお金のことを考える方はいますが、生命優先せずしてこの後何を基準に生きるのだろうと考えます。同じような来年を迎え、予想のつく範囲で生きるか、または不安の中で生きるか、どちらも辛いことです。今日の応用コースで、どこまでも崩れない自分で生きること、とは探求し続けることとお聞きし、「探求し続ける」とは考えていなかったことに気がつきます。どこかで、「これで全部わかった」という終わりがあって、それに向かえばいつかはゴールがあるようなイメージを持っていました。考えでみれば、年々豊かに輝いて生きるなら、年々勉強し能力が上がり、やれることが増えないと、豊かにはならないです。しかも学校のテストのように、100点の答案さえ書けばいいのではありません。真理の探究に100点はありません。探求をする人生が、自分が生きている人生とはわかっていなかったです。お金を稼いだり、仕事で成功するイメージは描きやすいですが、内面が豊かになっていくことは何をもって豊かになったかどうかをわかるのか。内面が環境を作るので、環境が変わったり能力が上がるから自ずとわかる仕組みです。もう一つ、いだき講座に出会えた自分のこと疑ってるんじゃないか?とお聞きすると、確かに自分が出会えたことは不思議です。しかし、最近人に伝えていると、本当にこの人がいだき講座を受けるかどうかを先祖代々祈るような気持ちだろうと考えます。人のことで考えると、本当に個人のことではないことがわかります。わざわざ私に出会い、コンサートや高麗さんの講演会に来られることは、普通のことではありません。今、お伝えする人はもともとの知り合いでもありません。AIが過去のデータを処理して、これが美味しいとおススメされて、その通りに食べたりするような状態はまずいとお聞きして、昨今は何でもすぐにネットで調べて口コミを見て物を買っているので、自分の状態は近づいていると考えます。プラットホームのお話は、電車のホームと同じ言葉であり、その性質をお話し下さりとてもわかりやすかったです。最後に、今ある体で次のことにチャレンジできるかどうか。昔から考えると、体の調子の良さは想像したことのない域にあります。年々、良くなる体。ありがとうございます。明日は「存在論」「死について」に参加させていただきます。よろしくお願いします。