真・顕
高麗さん、皆さんの書き込みを拝読して、死についての衝撃を自分のこととして受け止めています。言葉で表現することはできません。先生のされていることを言葉で表すと哲学的な用語になります。ですがそれをそのまま理解しようとすると難しくて私の頭ではとても理解できません。それを先生にお会いして身体・命が交流することで言葉を超えて理解するのです。そのために万難排してコンサートに向かいます。不可能を可能にするしかありません。
頽落、疎外ということばも辞書で意味を調べても頭では理解できないのです。
今朝は北緯40度賛の言葉を聞きました。今までに先生が入れてくださった北緯40度賛を何度もいただきました。ですが自分でいれたコーヒーが今までに飲んだことのないものになっていました。時が来ました。顕わ、ると、顕わすでは意味が違ってきます。どちらともコーヒーは語りません。
願わくは顕わすことをしていきます。
今日迎賓館の配信もidakisinサウンドシステムでご一緒させて頂きます。
自分のやりたいことを書こうとしても焦れば焦るほど出てこない。きっと自分の真は教えられたことやもろもろの雲で基を隠しているとしか思えないのです。
【生きて全体になれる】という衝撃。
ありがとうございます。