KEIKO KOMA Webサロン

真をわかりたい一心で向かう。


母の死後これでよかったのかと問うことばかりです。胃ろうからいつものように白いコーヒーをいただき、45分後には息が止まっていたと言う記録だけが残されています。虫の知らせがあった時にただ母に会いに行きさえすればよかったと悔やまれます。動くことが遅くすべて後手後手に回っていることがわかります。しかし自分を責めても答えは見つからず、本当のことをわかりたい一心で向かうよりありません。

3月11日からの連日のビデオ講演会配信をまことにありがとうございます。途中で倒れるように寝込んでしまうこともあり何度も聴かせていただきました。自分が本当に甘えていることに気づかせていただきます。父はもうずいぶん前から「おはよう」しか言いません。私はいつも母に語りかけながら父にも接してきたのに、それができなくなりそれが唯一の表現だったと分かり、情けないばかりです。
親は子のために生き、死んでいくことは確かです。講座を受けさせて頂き、自分の子供も私も命が助かり、両親の介護もでき、どれほど恵まれていることでしょう。
先生が何一つうまくいったことがないとおっしゃりながら、探求されてこられた事は、運命も人生も変えられることなのです。ここで簡単に落ちて死んでなどいられないと言う強い気持ちが生まれます。

新型コロナウィルスのことがあり、10日前に発熱した父をショートステイに預けることができず、京都の催しに参加することもできませんが、今は、この地で元気に生きるしかありません。ここで私がまた出かけては、父に会いたいと言いながら病気の妹がまた来れなくなる、、などなど問題がいっぱいあり、整理できないことが問題です。自分が作っているのかもしれません。様々な困難を乗り越えて来られた先生のお話をお聞きし、今までのことが思いや観念であったと思い知らされます。また、ねばならぬをたくさん増やし存在者となっている自分が変わらなければ何も始まらない今です。免疫力の上がるコンサート妹にも伝え続けるしかありません。

いつも花を欠かさなかった母、写真を整理していると、まだ両親が新婚当時に先生仲間を呼び、母が料理を作り、、たくさんの食べ物やお皿が小さい食卓にごちゃごちゃのっている中にも真ん中に一輪ざしのお花があり、笑ってしまいました。今、猫の額ほどの狭い庭にごちゃごちゃといろいろな木や花がたくさん咲いています。中心にある1番大きな花が杏の木で、一輪、二輪と咲き始めました。京都から娘と2人で中央道を通り東京へ向かう時、杏の花が満開であったことを思い出します。父が実のなる木を好んで植えた杏の実が、なるように育てていきます。

一昨日父と一緒に出かけた地域の見守りカフェで、出会った方に久しぶりに見せた父の笑顔は光に溢れていました。この笑顔を見せるだけで父は役に立っているのだとわかります。昨日はさすがにぐったりして1日中寝ていました。父は、私と妹のために必死で生きています。私にはまだまだその必死さが足りず親に甘えているようでは無力だと感じます。内面を見つめ問い続け未来に向かいます。

先生、高麗様、ありがとうございます。皆様の書き込みにも本当に感謝申し上げます。

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モスクワにて
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珈琲即興詩1 グジ・ハンベラ
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