真の正義
遅くなりましたが、10月1日の京都でのコンサートを開催して頂き有り難うございます。ライブ配信で参加でき、その後もオンデマンドで繰り返し聴かせて頂いています。
東京では10月1日の夜にはくっきりと大きな満月があらわれました。コンサート翌日の朝は、金木犀の香りが風にのって漂うなか、今まで気づかなかった彼岸花が道沿いに点々と、明るく美しい光となって咲いていました。中には白い彼岸花も混ざって咲いていて、朝の通勤の慌ただしい空気の漂う大通りで、そこだけ違う次元の光を放って、華やかで明るいです。人間の意識がなかなか変わらなくとも、自然はコンサートの光をそのまま顕しています。
オンデマンドを聴いて、高麗さんが読んで下さるコンサート第一部のメッセージ「正義」を書き写して読みました。恥ずかしながら今まで私は正義は世間がありがたがる言葉であると思っていて、自分はその言葉に対して常に反抗して生きていました。(私は不正義で結構よ!)といつも心に叫んでいました。メッセージをお聞きして、今まで正義という言葉に抱いていた反抗する思いが覆り、真の正義が顕れました。
「・・・我々命あるもの全てに眠るがごとくにある強い意志のことを正義と言っていいでしょう」この言葉に何よりも先ず自分自身が救われました。先生の仰る正義が真の正義ならば生きて行ける。これこそが生きる道です。堂々と生きて行けます。正義を振り回す世間に対する、それはもう掴みかかりたい程の激しい嫌悪と怒りは、真実が勝手に、都合良く曲げられ、埋もれさせられていたからこそだったのです。心に重く垂れ込めていた、世間というのっぺらぼうな、薄灰色の雲を、そして自らを否定したり責めたりする余計な想いを、コンサートメッセージ「正義」は一気に払い去り、まさに一条の光を通して下さり、正義で真正面から堂々と生きていけるようにして下さいました。
第二部では、メッセージにありました、過去の歴史の中で正義のもとに犠牲になった数え切れないほどの魂が復活することを心から願いました。もう二度と犠牲になることは無く、魂は真の正義の実現を目指して総動員で働いて下さり、そういう魂全てと今この瞬間も生きている自分であることを確認します。世間という実体の無いものにムキになり、まんまとその策略に嵌まることで、本当の人間関係が切れて孤独に生きざるを得なかった・・。それは自分一人だけがそうではなく、実は全ての人がそのように世間に苦しめられ、人と人との繋がりが切れた状態で、世の中も人間もそんなもんだと思い、悲しく、あきらめ、生きてきたのだと見えてきました。世間というものが、まるで悪意を持って、死に至らせる病のように、全ての人の心身をむしばみ、人間として生きることを放棄させてきたことが見えてきました。そういう全ての人間の過去の生き方がコンサートによって救い上げられ、昇華されて、これからは全ての人が本当の人間となり、人と人との関係、そして世間ではなくて社会を、これからみんなで創っていく時が到来したことを実感します。天が共にある、そのもとでは、人に背を向けるのでは無く、正義を胸にいだいて堂々と人と関わり合い、新しい時代を共に創っていくのが人間本来の生き方であると、心に強い芯が通りました。
コンサートの後、繰り返しオンデマンドで高麗さんが読まれるコンサートのメッセージをお聞きし、先生の演奏を聴かせて頂く中でメッセージの言葉が、光となって内面に通り、自分の心を変化させていることを感じます。世の中の見方を変えていっている、人との関わり方、人と関わる自分の心のありかたを変化させていっていることを感じる、コンサート後の毎日です。
経験したことを書くことにより、経験は深化し、さらに新たな気づきを生む土壌となり、そうして終わることなくずっと進化していけることを教えて頂いてます。
ありがとうございます。