真の日本人になる
2日の応用コースはライブ配信で視聴させて頂きました。
日本人であるのに、神話の世界が分らない、古事記が読めないし分らないことは、とても悲しいことです。
そして思考停止の元は、憲法にあることを教えて頂き、戦後のGHQの政策は、戦後70年以上経った今も、日本人一人一人に浸透していること、それなのにその自覚も無く生きていること、生きているとは到底言えない状態で平気で生きていることに心底ぞっとしました。
以前に父親から、小学校の時に教科書に墨塗りをさせられた、という話を聞きました。神話が書かれてある箇所を全部黒く塗りつぶし、否定し、無かったことにするのです。
70年以上前に日本人がさせられた屈辱的な行為は、その後もずっと次世代へと引き継がれ、今、誰に何を言われなくても、日本人は自分の魂に墨を塗り続けているのだ、と思うと耐え難いものがあります。
振り返ってれば、小学校の時、そして中学校の時、日本の歴史や憲法のことを習いましたが、自分の心が、モヤっとする反応をしたことをよく覚えています。
小学校の時、「天皇は国の象徴です」と教えられました。私は「象徴」という意味が分からなくて母親に尋ねました。それは言葉の意味が分からないから知りたい、というのではなく、もっと根源的なこと‥天皇とは日本にとって何なのか?そしてそれは自分にどう繋がってくるのか?‥そういうことを子供ながらに、ちゃんと知りたかったのだと思います。
しかし母は上手く答えられなくて、そのままになりました。そしてテストで「天皇は国の□□です」と空欄が開いていて、そこに丸覚えしたとおり「象 徴」と書いて埋めた時から、私は自分の心を埋めはじめたのだと、今にして分かるのです。
中学校に入ってからは、すぐに憲法のことを教わりました。今日のお話にありました「基本的人権」や「国民主権」についても教わりました。その時の自分の心の反応は「嫌悪」、「反発」でした。日本国憲法そのものにたいする激しい嫌悪感・・どうしてそういう反応をしたのか?あえて言うなら字面から受ける印象が「立派な振りをしていて我慢ならない」というもので、その感覚を「私は日本の国の憲法に対して、なんてことを思うのだ」「こんなこと思っちゃいけない」と急いで否定し、抑え込んでしまいました。
また、日本に奴隷なんていないのに、どうして「奴隷的拘束」という表現をするのか?とても違和感を持っていました。
今日の先生のお話をお聞きしまして、子供の時の感覚、心の反応というのは全く正しかったとわかります。そしてその反応を否定し、抑え込み、「そう書かれてあるから、そうなんだ」と丸呑みにして勉強をし続ける中で、生きることがだんだん辛くなって行きました。
今日の先生のお話をお聞きしながら、いだきに出会わせて頂く以前の苦しい人生の過程が、どうしてそうなったのか?が今、手に取るようにわかりました。
真実が分ること・・否、それ以前に、真実を教えて下さる方が存在しているということは、どれほどの救われでしょうか。
先生が日本に存在してくださっていること、その先生にいま出会わせて頂いていて、コンサートや講座を経験できることの有難さをあらためて噛みしめます。
コンサートや講座での経験を知識ではなく自分の存在そのものとして吸収して、変わっていけることは、呪縛の墨が洗い清められて魂が復活すること、今度こそ真の人間、真の日本人となって飛翔することです。
明日は存在論に参加させて頂くことが叶い、ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いいたします。