真の強さ 真の戦い方
11月1日の高句麗伝説で最も鮮明に残っているのは、高麗さんが好太王様の詩を読まれた時です。何かとても驚くような衝撃が胸に飛び込み、思わず目を開きました。まるで見えないヴェールが切って落とされたように、目の前の空間がどんどん開かれ、広がって行くのです。そのど真ん中を全速力で疾走していく弾けるような爽快感、そして腹に全身の力がグッと集約され軸がしっかりと定まってくる体感は、今もなお身体の裡に鮮明に在ります。私には、それは「真の強さ」と「真の戦い方」を、好太王様をとおしてこの身体の裡で教えて頂いたと感じました。敵が好太王様と出会った瞬間、この人と共に生きていきたいと自ら高句麗人となった・・という高麗さんの詩がとても心に響きます。そこにあるのは圧倒的な存在を前にしての人間の姿です。誰も傷つかず、支配し支配されることもありません。各々の心が自ずと動いて「この人と共に生きていきたい。」と否応なく変化していくのです。そこに働く強さとは、強引に従わせるような力の強さではなく、大いなる存在と一つであるところから来る強さです。風か水の流れのように、あまりに自然であり自在な姿の導きです。そこに満ちるものは悲しみや苦しみでは無く、喜びであり、幸せであり、生きて行くエネルギーであり、美・・です。
人間をそのように導いて行く戦い方があるとするなら、それこそ真の戦い方である・・と、そこに希望と未来への指標を見出します。
アンコールで先生の伴奏が始まり、高麗さんがお父様の詩「父」を詠まれる瞬間、クラリネットの音色に乗って金木犀の香りのする空間がさあっと広がり、理由もなく胸がいっぱいになりました。底流するリズムは、軽やかさの中にも軸の定まった、お父様の足取りを感じます。そして主旋律であるクラリネットの音色には、お父様の優しさ、心の豊かさ、広さ、そして悲しみを抱きながらも常に未来を見つめる遠いまなざしを感じます。高麗さんのお父様ですが、とても大きくて広くて深い、そしてとても懐かしい、普遍的な「父」の存在がどの人の前にも現れ、見護り、導いて下さっていると感じられてなりませんでした。
有り難うございます。
日付は今日となりましたが、11月3日の京都でのコンサートに参加させて頂きます。
北山の京都コンサートホールで先生の演奏をお聞き出来ることが喜びです。
どうぞよろしくお願いいたします。