真の存在に出会い
盛岡での人生変わるコンサートが無事に終わり、見あげる夜空に浮かぶ月のあまりの美しいことに感嘆します。コンサートを聴いていたとすぐにわかる輝きに更に感動しました。今日のコンサートも人生が大きく変わるとてつもない経験でした。生き直しよりありません。真の神と共に生きる人生を実体験をもって教えていただき、活かされている生命に深く感謝します。
第一部「癒し」
「「癒し」といえば、アスクレピオスはギリシャ神話の英雄で医術の神です。医神として現在も医学の象徴的存在となっています。WHOのマークにある杖はこのアスクレピオスの杖です。かつてレバノンのエシュムンにてアスクレピオスの存在を明確に知るに至ります。イエスキリストが治癒神として活躍された由来を知りました。我が日本はサキガイヒメ、ウムガイヒメはオオク二ヌシノカミの治療に従事しました。神と言えば必ず「癒やし」のちからが「いのちのちから」としてあります。コロナ禍でもあり、迷信の類いを排除し、しっかりとした治癒のはたらきを得ることです。」
癒やしの神、アスクレピオスに出会えました。イエスキリストにもお会いできました。徹して全てを受容し、徹して真を貫く在り方は「いだき」であり、先生そのものでありました。自律が癒やしであり治癒に至るとわかりました。いだきが癒やしであり治癒に至る道です。真の治癒神、イエスキリストにお会いでき、作り物の受容も真らしきものも一瞬にし崩壊しました。私は最近起こることが頭に浮かび、体の違和感としてもありました。普通の会社であれば恐らくないであろう問い合わせやクレームらしきメールが来る時、宛先が担当者や宛名がない場合は自分は対応しませんが、どう考えても仕事のルールがわかっていない見当はずれな内容であっても丁寧に対応するようにしてきました。自分が行って来た時はよく先生からは、あなたはやさしいので、人が助かってしまうよとご指摘を受けていました。助かってはいけないところで助かってしまうので、本当の意味ではやさしい訳ではなく、人をだめにしていく手伝いをしたようなものです。今日は、このことが真に悪いこととよくわかりました。先生だったらどうされるか、イエスキリストであればどうされるか、治癒神であればどうされるか。。。と先生の演奏によりあらわる存在を前に、このエネルギーとはたらきを目の当たりにし、自分を見れば、なんと愚かで恥ずかしい有様であるかと痛い程わかりました。ただただ頭を下げるよりありませんでした。申し訳ありませんと言う言葉よりなく、真に申し訳なくて涙ばかりがこみ上げ、胸が震えてなりませんでした。悲しいとか辛いとかいう感情と違うのですが、胸が震え涙がこみ上げるばかりです。こんな様でよく生きてこれたとぞっとし、感謝もあふれました。先祖や父の力で守られ、生かされ、そして先生に出会い、幸運に恵まれたので、本音で生きてこれましたが、自分で生きてこれた訳ではないということも素通しで見えました。自分で生きていると思うことは傲慢であると受け止めます。昔であれば頭を剃って出直しです。現代なので、頭を剃らずにも出直していけることも幸いと感謝します。真の治癒神、真のイエスキリスト、真の存在に出会ったら作り物も曖昧さも全ては崩壊します。人間は人間になるよりないのです。
第2部「広い宇宙から戻り、地球上を何周もして戻ってきた銀河鉄道」
「宇宙を旅し、旅といっても地球上での時間ではかれる旅ではないのです。地球上での時間ではかれる事柄は行き止まり、行き詰まりのように見えます。とてもやっかいで、気がかりなことです。今回は広大な宇宙の中で「いのちのちから」にちからとしてはたらく言葉に言い表せないほどの膨大なエネルギーを宇宙の愛の源から運んで参りました。いのちの内側にはたらき続け、真の愛を実現するどのような困難も切り抜ける愛のちからを運んで参りました。本来のヤマトのちからでもあります」
銀河鉄道が登場してくださいましたメッセージにロマンを感じ、北緯40度の地であればこそのメッセージに心は躍ります。銀河鉄道は地球を何周もして戻ってきたとお聞きしていましたので、世界中の神々を引き連れてきてくださったと感じました。見える図形は最も澄んだ、純粋な光の集合体が見えました。神々の集合体と見えましたが、演奏をお聴きすれば、まさしくそうであるとわかりました。世界中の神々は全ての濁りをなくし、最も純粋な光になり、合体したと見えました。三鷹でのコンサートにて表してくださいました「聖」の合体と見えました。大宇宙の柱は塔となり立ち上がっています。何ものも破壊することはできない揺るがぬ真の塔が立ち上がりました。「宇宙の愛の源から運んで参りました」とのメッセージに心震え、「いのちの内側にはたらきつづけ真の愛を実現するどのような困難も切り抜ける愛のちからを運んで参りました。本来のヤマトのちからであります」が心に響き、感動してなりません。2部も頭を下げ、人間中心の社会をつくり、生き方があたりまえのようにし生きてきたことに深く申し訳ない気持ちで一杯となり、一部と同様に胸の内が震えて涙ばかりがこみ上げます。人類対神という図形が見え、人間は傲慢にも神に対してしまい、受け容れることもなく勝手に生きてきてしまったことに頭を垂れるよりありませんでした。深い罪に頭を垂れるよりないのです。真を貫くことを示していただき、神と共に生き真を貫き生きていくことを心に誓います。私は日本の為に役に立てるようにはたらきたい気持ちが生まれ、人間中心とした勝手な生き方は完全に終止符を打ちます。「ヤマト」の音に胸の内でむせび泣く魂を感じ、「ヤマト」と詠ませていただくだけで胸打ち震えました。生かされ、守られ生きていられるのに、文句を言ったり、不満を抱くことなどとんでもないことと心から謝りました。まずは自分がやることをやりきることがやるべきことです。言葉によっては表し尽くせぬ経験ですが、生きることで表していきます。体に違和感とし残る不合理な世の中への不満は、真を表現し続けていくことと社会全体が大きく変わる先生のコンサートを開催させていただき、不合理なことが通用しない空間となればなくなっていくのです。不満なうちは不満がたまるだけです。動き、解決へ向かうことが答えです。そして今日の神々のお働きから筋を通すことを学びました。世俗にあっても筋を通し、真を貫き生きることが私には治癒へと至る道と見いだしました。人間も社会も病んでいることを身をもって感じる毎日ですが、無限に注がれているおおいなるはたらきかけに満ちている空間が作られていますことが希望であり支えであります。心から感謝し、生き直し、生きて参ります。ありがとうございます。