目覚め
第一部「ナザレのイエス」
ナザレのイエスについては多くを語る必要はないでしょう。
イスラエルのガリラヤ地方のナザレで生まれたイエスのことです。
最初に名前を知ったのは中学入学と同時に入院先の病棟で知りました。
信仰により知ったわけではなく、ただ偶然に小児科病棟で知りました。
何の解釈も解説もないままに
ただ素朴に出会えるように生きた青年期です。
様々な解釈、知識は、突然知った時の意味とは
かけ離れていることをわかったからです。
第二部「愛がはじまり」
愛がはじまってみれば、理性によってコントロールすることも、
されることもなく、ましてや感情が異常に高揚することもありません。
個々人がはじまりを経験することで、
今までにない新しい時代の只中にいる実体験のままに、
日常生活はもちろん、仕事、会社経営など、
今までにない新しい時代を構築し続けます。
夢にも見ることもできなかった現実の社会です。
各々が最高のパフォーマンスを得られます。
「愛がはじまり」
第一部のメッセージをマイクにて読ませていただきました時から、胸の内が打ち震え、胸が引き裂かれんばかりに震え、悲しみ、愛が入り混じり、泣き叫びそうになりました。講座にて何度もお話は伺ってきましたが、先生が中学の時に小児科病棟で知ったナザレのイエスとの出会いはただ事ではなく、私が想像するものでも、考えるものでもない、「こういうことであったのか」と言葉に表すことをしたら、また解釈した言葉になってしまうことに畏れを感じます。先生の人生のお話は、お話としお聞きしていたことは、とんでもない間違いであったと深く頭を垂れます。表面的にみて、使う言葉など、何の意味もなく、吹けば飛んでしまうほどのものです。先生の人生のお話は、内面を根底から変え、生命が変わるお話です。私は今日の経験をせずに死ななくて本当に良かったと救われた思いでした。頭の真ん中が目覚めたのです。真理をわかる頭の中心は闇に覆われ、気付かないほどに、闇に埋もれていました。ちょうど、昼間に、話していたことですが、病院を選ぶ時に医師の経歴、経験を基準にして選ぶと話していたところ、コンサート会場の先生の楽屋にて先生からいただきました本には経歴、経験を基準に選ぶことは間違いと書いてありました。おもてなしが、人の命も人生も救うと書いてあるのです。技術は、訓練により高めることができると書いてありました。私は血液検査やワクチン接種の時に上手な看護師さんであれば、あっという間に苦もなくすぐに終わりますが、下手な人だと何度もやり直し、時間もかかり、次第に気分が悪くなってしまうので、技術が高い方が良いと常日頃考えていました。このような頭は表面的であるとよくわかりました。先生の演奏によりナザレのイエスの存在が現れていました。このような存在が人を助けていくのだと生命をもって分かったのです。イエスキリストのような人間であれば、技術など高めることは当然のこととわかります。イエスキリストを十字架にかけてからの人間は人間ではないということがよく分かったのです。自分も恥じました。真人間とならねば、真に申し訳ないと深く頭を垂れるよりありません。同時に、生きている今、人間とは何かに目覚めることができ、あまりにありがたく、やはり深く頭を垂れます。魂震える演奏にはイエスキリストが、父なる神と呼んだと聞く、大いなる存在に出会いました。恥ずかしい限りですが、私が教会に行き、祈っていた神ではありませんでした。強い衝撃を受けました。先生が小児科病棟で知ったイエスとは。。。を考えました。今日、お目にかかれたイエスには、聖書を読んでもお会いできませんでした。今日のコンサートで表れ出た大いなる存在にも衝撃を受けました。この世は作り物だらけであり、嘘や誤魔化しよりないと見え、今までの人生も人間の歴史も何であったのかと唖然とします。震えが止まらない畏れおおい存在こそがイエスキリストであり、イエスキリストと繋がっていた大いなる存在であったのです。2000年後に先生と出会ったのだと見えた時、言いようのない驚きと衝撃が全身を貫きました。「高句麗伝説」の時に詠ませていただく詩「今まで現ることのなかった大いなる存在」が現れました。真理に目覚め、人間であることに目覚め、真の人生はこれからと感じ、感謝に震えました。
先生のピアノの音は本当に素晴らしいです。ガリラヤ湖には行ったことはありませんが、イエスキリストが湖の畔を歩く香りがしました。水の香りも空気までも感じました。生きてこのような経験ができますことの人生の豊かなことをどのような言葉によって表現できるでしょう。演奏から感じる全ては神秘的で、他では経験できることではありません。
始まる前、笑美ちゃんからお疲れですかと尋ねられました。何かはわかりませんが、重い覆いを被り、身動きが取れない重荷を感じ、疲れていました。体にまとわりついていた覆いは、嘘と誤魔化しで作られた人間とし生きた過去であり、真を覆い隠している闇であると演奏をお聴きしながら、覆いが取れることでわかりました。嘘や誤魔化しがあったら愛がわかることなどあり得ないともよくわかりました。先生が小児科病棟でイエスを知った時のメッセージを詠ませていただいた時の衝撃から真に目覚めました。真に生きてこそ愛がはじまるとわかりました。「夢にも見ることの出来なった現実の社会です」とのメッセージが心にあり続けました。今日の経験も考えたことも想像すらできない経験でした。私には夢にも見ることのなかった経験です。とんでもない経験をさせていただきました。真の時代は拓かれます。
終わった後のウクライナの方々の喜びは祭りのように賑やかで華やいでいました。友人が戦死され悲しみに沈んでいた若い女性は、すっかり明るくなり、お人形のように可愛くおめかしして素敵でした。コンサートはどうであったかと尋ねると、一瞬にし涙目となり、どれだけ良かったかがわかる笑顔が見えます。皆様、大変お慶びになり、何度もお礼をお伝えくださいました。心が辛く、カウンセリングを受けているという方は、神代植物公園に行ってきたそうです。1000本ものバラが咲き、美しい香りはすれど、本物の香りがする薔薇の花は、数本であったと話しました。先生と私もほとんどいない本当の香りを放つ薔薇のようだとお話しくださいました。ウイグルの方も苦しんでおられましたが、すっかり元気になり、コンサートに来たくてたまらない様子でした。大変な境遇にあり、どれだけ辛いか知れない方々が、明るく、笑顔輝く様子に触れると嬉しくて涙滲みます。人間とし生まれ、人のお役に立てることがあるので、生きていると感謝します。先生がおられるので人のお役に立てることができますことに感謝よりありません。次はいよいよ京都、琵琶湖での「高句麗伝説」です。ありがとうございます。