目覚めた芽を
ぬるいお湯でゆっくりとつかるという話を高麗さんのビデオ講演会でお聞きしていたので真似をしてゆっくりとお湯につかっていました。そうすると盛岡の6・30コンサートのオンデマンドで経験して高麗さんの声だけの講演会を何回もお聞きして命にしみこんでいた、おおらかな存在に包まれました。いつもそこにいてくださるのに気づかない限界のある生き方は自分も日々経験しています。過去、現在、未来という時間軸にいない、経験したことのないこれからの事。。。一歩ずつ歩いていいのだと。情けない自分がいていつもお金のことで限界を感じていますが、それも意味のあることと受け止めます。
人と同じようにすることだけが人生ではありません。見る意識は限界を感じて苦しくなります。「委ねる」という言葉がバスに乗っていて突然生まれました。慌てて紙に書きましたが、依存的にゆだねるというのではなくて、成るようにしかならないというのとも少し違っているようです。自分のようなものがという意識もありましたが、電話の声に励まされて書き込みをしています。
自分のまだしていないことをするということ。今朝魂コーヒーを入れるとお腹の底に小さな芽が光っているのです。今まではそれをできないものとして否定したり無視していましたがまずは生まれた芽を気づき認めることから始めます。
昨日の応用コースも空間を通じてしかご一緒できませんでしたが大きな一歩と考えています。先生にお会いすることがどういうことかを誰よりも命が経験しています。
今日はアントレの日ですね。
よろしくお願いします。