盛岡の機会
高句麗伝説のお礼が遅れ大変申し訳ありません。盛岡高句麗伝説の尊い一席に参加させていただき本当にありがとうございました。
高句麗伝説、古の時とありながら、今の時に、この現実の中でどう行くかをずっと感じていました。魂に働きかける存在と出会い、これから先の人生の道が見え、10年後には成していたいことがはっきりと魂に表れました。今の世の中では、新しい仕事をつくり、新しい環境をつくることが具体的に世の中を変えていくことだと感じ、そこに向かって共に働いてくださる存在共にある生命を経験できました。
そしてある瞬間出会った存在は、世界中の魂がまた魂ある人が求めてやまない存在であることを全身を貫く衝撃と共に感じました。そして通じる人は世界に必ずいると感じました。平和への糸口を求め、解決の答えを求めている魂と出会えればいいと感じ、通じないところにいるのではなく、通じるところに行くことを示すように働いてくださる存在と出会い、光を得ました。
その経験と共に、今日の存在論のお話は、お腹の奥から面白くてたまらない経験でした。本当にありがとうございます。縁をつくっていく存在とは何なのかという問いから始まり、先生が歩んで来られたプロセス、奥様と体質を変えていかれたプロセス、いだき講座へと繋がるプロセス等、東北の地だからお聞きできると感じる本当に貴重な内容と感じ初めてわかることが沢山ありました。また食べ物のことは、先生が問うて下さってから露わになり、まさに今直面している問題です。日本人にとってお米は本当に大切な食料で神聖なものでもあり価値でもあり、そう身体に染み付いた状態は意識的には変えていけないものと痛感します。先生が表現してくださった時に身体から抜けて行くものがあり、情までも絡んでいる何かが外れていく体感でした。
また先生の発想の斬新さとよってそれがまさに解決策であることに、全身が躍動していました。常識に囚われた頭では絶対に生まれない解決の道が先生と一緒に生きることで生まれてくることを確信し、自分自身に力がつき、状況が整えば、先生にお聞きして世にない仕事をつくりたいと感じます。自分でなければできないこと、という究極とも感じる生き方を問う存在論で、昨日の高句麗伝説で魂を感じ魂に道をみる経験をしたことが繋がり、社会に要求されたあるいは周りに期待された、つくられた自分ではない、自分の存在を考える契機を与えて頂きました。最後に、自分の存在をわかるのは、感じること、とお伝えくださり、まさに自分が何を感じているかには正しいも間違いもなく、そこに自己の存在をわかっていける機会があり、内面が表現されるコンサート、高句麗伝説の機会は最大のチャンスだとわかります。
先生の2時間のご講義から得たことの多くを書ききれていないのですが、その驚くべき内容は生命に記憶され、これからの糧となるとはっきりと感じます。
それは今この瞬間も、面白くて仕方ない何かが身体を突き抜けているからです。
尊い機会を本当にありがとうございました。