盛岡応用コースと連日のコンサートを誠にありがとうございました。
いだきしん先生
高麗さん
いつもありがとうございます。
この度は連日のピアノコンサートを、そして昨日は盛岡での応用コースの配信を誠にありがとうございました。お礼を申し上げることが遅くなってしまいました。
連日のコンサートではピアノの1音1音が体内で響き渡り、ある時は天から地から渦巻いているような、またある時は愛に満ちて逆撫でられていたものが静まるような、さらにある時は強制的に黒いものが根こそぎ取り除かれしばらく力が抜けて見動きできないような様々な体感を受けました。
その後炙り出しが行われたのか、仕事でもプライベートでも一時的に人間関係が最悪になったと思いきや、一瞬ですっきりとした状態におさまるような目に見えない激しい変化を感じております。
被害者だと思っていた私は加害者でもありました。また、自分のことを棚にあげて他者を非難していたのは他者と思っておりましたが、私でありました。全くもって隙だらけで何とも情けなく、真剣に鍛錬するより他ないことをお教えいただいております。
振り返ってみると、私は『戦いに勝つ』という意識をもって生きてはこなかったように思います。社会人となってからは特に自分の弱さを嫌でも目の当たりにして絶望し、勝つことをとっくに諦めていました。『勝てない』『負けの人生』と嘆き、またその劣等感から心の中で何とも余計なマウンティングをすることで自分をなんとか保っていたように思います。自分の『勝ち』とは何かを見つめ直して参ります。もういい加減強く優しく豊かになることを意図します。本当に愚図は愚かです。そして私の劣等感やどこか心開けないこの精神性は不要であります。
そして、世の中で起こっていることが自分には関係ないとどこかで思っていたことも愚かでありました。自分のことばかりなところを治さねばなりません。
昨日が終戦記念日であることも恥ずかしながら意識をもっておらず、沖縄の背景も、今の自衛隊の基地が増えていることも知りませんでした。自分に直結しているように感じることにしか関心が向いていないのに、世の中に貢献できるようになりたいと言っている自分が滑稽です、、。よく考えると二十代前半辺りから社会にも絶望し、『就職活動も終わって面接で時事問題を問われることもないし、どうせ政治だって変わらないし、どうせ私が何やったって世の中なんか変わらない』と投げやりになり、ふてくされたような感情をもってから世の中のことに本当に無関心になっていったように思います。いだきを受けられたのだから、変わっていかねばなりません。
明日のコンサートには旦那のご両親と旦那と参加させていただけるはこびとなりました。誠にありがとうございます。コンサートに参加するにあたっても、また何をするにも行動ではなく行為のもと、自分が何を意図して動くのか、より精確にすることに努めて参ります。
地元での明日のコンサートがとても待ち遠しいです。どうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございます。