盛岡ジェンダー
盛岡でのジェンダーに参加させて頂けましたこと、本当にありがとうございます。
地球上の生命の誕生をお聞きしていくうちに内面に清水が流れ麗しいことを分かり始めていきました。内側に豊かな広がりを感じていくと普段余計なことを頭に思い巡らし時間の無駄をしていることが愚かなこととしてわかりました。
1時間目、2時間目を経て3時間目に入ると、完全に先生の方向よりないと感じていきました。先生の言葉から感じる、年々美しくなること、年々洗練される美しさに歓びを感じ、生きる基準がまるで違う世界にいると感じました。社会によって規定されていくことが基準になったときには、ちっぽけになりこの輝きは失われると感じ普段の自分を顧みます。地球上に華が咲き、女性は地球に咲いた華とともに女性になったとお聞きしたことに喜びを感じる自分が不思議でもあり、新鮮でもありました。先生が老人ホームにお勤めになっておられたとき、普段は大人しくてもその場面がくると大変美しく舞っておられた一流の芸妓のおばあちゃんがおられたことをお聞きしていると、その方が今ここにいるように華を感じました。本当の芸は幾つになってもずっと生命の中に生きているとお聞きし希望です。世阿弥は以前ジェンダーの時に紹介してくださった古典ですが、家に帰り読んでみても、なぜこれがジェンダーなのか初めはさっぱりわかりませんでした。若いうちにはわからないことが年々深くわかっていき、洗練され生き、その時その時に華の絶えない人生があることに希望を感じ、そうありたいと望みます。関係の中で互いに美しくなっていくことは互いに喜びであり、そのプロセスで経験する事の奥の深さはこれからもっともっとわかっていきたいことです。
仕事は目標をつくりその目標を次々達成していきますが、生活の中では幸せに生きるという目標はないことから生活と仕事は分けて考えることや、また職場での人間関係は仕事が変われば変わっていきますが、生活は一生続いていくので、生涯続いていく関係かどうかその射程距離が長いかどうかを考えることなど、聞けば当たり前のようなことも、これまでの自分は男女関係まで目的化してしまったり、刹那刹那により考えられず必ず飽きがくるような関係より築いてこれていないことなどがはっきりし、整理がついてきました。仕事が変わり状況が変わり自分自身の状態が変わり日々様々なことが変化する中で一人の人との関係がなぜ継続できるのか、先生と奥様の関係をお聞きしていてもそこがとても長く不思議だったのです。先生がいずれ奥様になる女性と始めてバスの中で出会われた時、この人と一緒になるとわかった感覚をお話しくださり、どういう出会いがあったかだけと仰る意味も少しずつわかって来るようです。感覚は曖昧なものですが、続いていく感覚はあり、美とお聞きしたときにそれは真とわかります。
「あ」「い」「う」。。。と母音の探求、おんの探求、赤子の産声のこと、、を今回のようにお聞きしたことは初めてであり驚きでした。人間は生まれたときその第一声を「あい」と発声し一息で全身をほぐすとお聞きし、そのたった1度の経験を取り戻すように大人になってからその愛の状態を求めて生きるとは、お聞きしているだけでもとても不思議です。封印された神が現れ。。それはエロスに近いとお聞きし、これからはどうなっていくのかとときめきます。わかりたいことを求め盛岡まで身を運ぶことの叶う幸運があり、これこそ自分の人生であると感じました。あっという間の6時間をジェンダーという肝心なことをテーマにお聞きできる機会は本当に幸せです。
ありがとうございます。