盛岡にて
盛岡にて、高麗さんの講演会、応用コース、ビデオ講演会、ミーティングに参加させていただき、ありがとうございます。
盛岡駅に到着すると、とても寒くて冷たい強風が吹いています。事務所に到着するまで歩くことが大変で、大通りは風が強すぎるので、避けて中の道を通ってみてもやはり強風です。弱くてはダメだと自然が叱ってくれています。「本音で生きてください」講演会では、高麗さんが話される一言の重みを感じます。高麗さんが使われる言葉は、とても一言一言が丁寧で、心に響きます。真剣であり、ことの重大さが伝わり、時に涙し体が熱くなったり、自身の記憶が蘇ったりと色々なことが起こります。このような講演会は、他にはありません。自分が人に伝える時に、正確な言葉であるかどうかを考える機会となりました。ミーティングでもありましたが、自分に影響力がなければ、そのような方に会えないのではないかと。影響力とは、存在感であり、その人が使う言葉とその人が生きている状態が一致していないと気持ちが悪く感じます。表面的な生き方をしている人は、同じ言葉を使っても薄っぺらで、覚えた単語を使っているだけに聞こえることがあります。最近多くの人と話すので、人の言葉の違和感から自身の状態を考えます。高麗さんのお兄さんの管理がなくなったお話は、内面が環境を変えていくことを改めて実感するお話でした。高麗さんの心臓が治ると、親戚の方も治られて、と伝搬することも良くわかりました。
応用コースでは、一番前の席に座る巡りとなり、緊張しましたが、ピアノを弾かれる先生は、身に受け表現されていることを良くわかります。先生が音を発見されたお話、赤ちゃんの泣き声から掘り下げていかれたこと、言葉のお話から学校ではみんなと同じに考えることを強いられるようになることを思い出しました。そしてそれは危険なこと。学校を卒業すれば、社会でもみんなと同じ言葉で考え方を強いられます。ほとんど物を考えていない状態です。危険です。自分ノートを作ること、ある野球選手はホームランを打ってもノートに書いて、自分ノートを作っているとお聞きし、一流の方は継続して自分を見つめ成長する努力をなさっているとわかり、私も今日から「毎日」やっていきます。言葉にすることの大切さは、年々わかってきます。
明日のコンサートの地、北上のカミは、神であり、奥に隠された神。なぜ、隠されなければいけないのか?大切な神だからでしょうか。大きく時代が変わる今、本当にどのコンサートも、この経験が無ければ大きく遅れをとってしまうだろうと感じます。
ビデオ講演会でデイサービスのお話しをお聞きし、マーブリングの天井や心模様がはめ込まれた壁などを想像し、設計士さんも他では人間が大切ではなくコストが優先する仕事に嫌気がさしているのでは、との話は俗世では常識のようになっている状態です。今までは、人間を無視しお金が優先され結局その状態では、何のために生きて仕事をしているのかわからなくなります。多くを考える一日をありがとうございます。
明日の北上コンサート、よろしくお願いします。