KEIKO KOMA Webサロン

盛岡にて


本日はマーブリングのお洋服をお見立ていただき、そしてコンサートへと向かわせていただけましたことありがとうございました。
今日お見立て頂いたお洋服は自分の感覚ではとても苦手なものでした。可愛らしい大きな襟やフリフリのデザインは絶対に自分が選ぶデザインではないです。マーブリングは大変魅力的でとても美しいのですが、可愛らしいお洋服は苦手なので、正直はじめは似合っているとは思えず躊躇してしまいました。みんなに可愛いと言っていただき身につけているうちにだんだんと自分でもその感覚が薄々とですがわかってきました。とても嬉しいです。
正直、お見立て会場に向かう足取りは重く、楽しみというよりも怖さの方が勝っていました。少し見てすぐに会場を出ようと思っていました。しかし会場に着くなり、受講生の方に奥の正面にかけられた華やかで可愛らしいお洋服の前に連れて行かれそのままそれを頂くこととなりました。他は何も見ず、迷うふりをしても無意味とわかり決めさせていただきました。そしてさらに皆様の次々と新しいお洋服を身に着けて姿を変えていかれる姿が楽しくて会場を出るどころかずっとそこにとどまっていました。
お見立てして頂いたお洋服を着ていると、少しでも粗雑さが有れば壊れてしまいそうなほど繊細で柔かいふわっとした華を内面に感じ、優しい華を開かせたまま生きていく新しい可能性を感じていました。

今日のコンサートの経験を思い出して書こうとしても時間の感覚がまるで未知なる経験で、時系列にならない時間とその経験をどこからどのように書いたら良いのかと戸惑います。自分が自分をとらえている意識は逆さまになっているような感覚を覚えました。前方にまっすぐに開かれた状態にあるとき、この逆さまに反転した意識はまったく無意味で時間の無駄と思えました。嘘も、建前も必ず近い将来崩れるようになっていて、このような射程距離の短いことを繰り返していることは見るからに愚かであるとわかりました。本来生命はうんと射程距離が長く、そして自分が死んだあとも続いていくことに向かっていく生命であると感じました。それを実現するのは生命の光から生まれる本音よりないことを感じました。高麗さんが始められたエチオピアの支援や東北復興の支援活動は始めた限り辞めてはいけないこと、辞めることのないものであることをお聞きしている重要な意味を感じました。期限付きの支援であるのならば、始めからやってはいけないことのなのだと感じました。途中で終わること、途中で関係が切れることは生命は傷ついていくことを感じました。まったく傷つくことを知らない球体の生命は胎内に発生した瞬間の真の自分の光よりなく、生まれる前の歴史や生まれてからの経験によりできた傷や歪みは、この光に戻ること以外に解決はなく、また射程距離の長い続いていく活動や関係性はこの光からスタートする以外にないことを感じました。

生命の光は空間に満ちる愛と一つに溶け合い、この身体があることすら忘れてしまう瞬間が訪れました。生命に愛が満ちて初めて互いに愛し合えるのだろうと感じます。

マーブリングのお見立てをしていだいてからずっと感じていた胸の中央の鈍痛がコンサートの最後まで消えずに残っていて、その意味を考えていました。
お見立てしていただいたお洋服を来ている私に高麗さんはアイドルみたいねとおっしゃってくださっていた言葉を思い出していました。そんなの恥ずかしいと意識では引っ込んでみても、本当のところはもっと前へ出たくてうずうずしている自分に気が付きました。恥ずかしがっているのも嘘かもしれないと考えていました。生命の光を活かした結果は皆が喜ぶことと感じると、ごまかしたり嘘をつくより、活かすことを考えるべきなのだと感じます。

ありがとうございます。

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