KEIKO KOMA Webサロン

皆の御礼を代表し


いだきしん先生のコンサートでは、終演後には誰もが綺麗なお顔になって帰ります。以前より、何かを連れてコンサートへ向かうようだと自覚することはありましたが、このところ、明らかに死霊を引き連れコンサートへ向かうとわかる瞬間があります。開演前、母と弟と高麗さまへご挨拶させていただいた時におっしゃって頂いたことから、自分には見えないからと言って関係ないとするのでなく、森羅万象のひとつとして理解していかないと、あっという間に命落とすとわかり、まだ死んではいられないので、話して下さることに心より感謝申し上げる次第です。書き込みをさせて頂き思い出したのですが、この度亡くなった父の叔母は俗に言う霊能者でした。大地主の家でしたが物腰もやわらかで、地域では有名、とても頼りにされ大事にされていたと聞いています。父の母は猛烈に熱心な新興宗教の信者で、私が生まれた家は集会所でした。両親は毛嫌いしておりましたが、世俗のドンが世を牛耳っている名古屋です。今回、郊外に住む弟夫婦含め、適当な距離を置きながら全てと付き合うという半端な感じの連続を、自分の中で処理しきれなくなっており、かといって長男を差し置き仕切るわけにもいかず、心身を激しく痛めていると自覚してきました。弟は二十歳の頃までは霊も見えていたと聞き、私はIDAKIと出会うまで、突然具合が悪くなることが多くありました。弟は大学で松本へ行った時、あまりに面倒なので感覚を潰したと聞いています。丁度その頃私がいだき講座を受講させていただきましたので直ぐに予約したのですが、何か別の用事が入り、当時は私もよく理解できていなかったため、ではまたね、と言ってタイミングをはずし、十数年後、かなり困ってからの受講となりました。出会った時が最後のチャンス、時を逃せば人生を台無しにするとは、弟の経験からも実感しています。父の葬儀をきっかけに、前代未聞の真の救済を求め、怒涛のごとく押し寄せてきて、光に変わっていった死霊の分も合わせて、厚く御礼を申し上げます。
湖底からの光、メッセージは、想像すらできなかった、素晴らしい真でした。人間は、此処で生きてこそ人間、と地を這う生き物からの脱出です。子が幼い頃、保育園の先生と幼子の声に聞き惚れ、話し合ったことを思い出しました。第二部のメッセージにより何故あの声が出るのかを理解できました。自分はどんな声を出していたのかと様々な事を思い出すと父との思い出が蘇ります。自分も無垢だった頃の感覚も蘇り、光のまま生きていきたいと望みます。それも、いだき講座により、幼い頃以上に美しい光を取り戻しているのです。ちょうど隣の席が空いており、父も参加したように感じました。いだきのことは最も遅くとも死んだ時にはわかります、とは以前からよくわかっている事実です。ただ、それでは勿体なさすぎますとの思いが強く、このような歴史的で、奇跡的な事実に出会っているのだから、もっとわかりましょうよと余計なお節介が、私自身のようにしてありました。思いもお節介も、真の光ではありません。真の光のみで生きる、未知なる人生へと突入です。
アンコールのピアノは、北上コンサートへ繋がっていると感じました。
森羅万象と響き合う声で語り合い、生命の光あらわし生きる人間が働く。本音で生き、本音をあらわす人生を歩ませていただけるとは、希望でいっぱいです。
初めてご参加なさった方も、誰もが綺麗なお顔で、瞳輝きお帰りになります。生命の声と話す言葉のギャップがなくなるとき、世界の平和は実現していると考え、このあともコンサート開催を、どうぞよろしくお願い申し上げます。一気に働きかけて参ります。

全てにありがとうございます。

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