KEIKO KOMA Webサロン

発信


今日は、昨日よりも多く働き、発信していくことを心に家を出ました。動くことで解決し、乗り越えていくと決めてから、とても元気になりました。じっとして良いことはないと身にしみわかりました。先を創ること、動くことが答えです。今日は、先日語らせていただきました「京都、琵琶湖、奈良での歩み」の続きを語らせていただきました。大地からたくさんの魂が動き出し、とてもじっとしてはいられず、多くの人に京都コンサートと5月の高句麗伝説をお伝えする為に、「高句麗の風」を作り、京都中に配布していただけるように京都に住むボランテイアの人にお伝えしました。私は目に見えない世界が見えるので、こちらを中心に動きを考え、行動すると決めています。今日も語らせていただきましたので、これで準備は完了です。動くのみとなりました。5月の「高句麗伝説」のパンフレットも作りました。一ミリも狂いなく作り始めると、何度もやり直しが続くので、時には周りの人に気を遣い、一ミリの妥協をすることもありましたが、今回は一ミリの狂いなく、「動く」パンフレットが創れました。とても嬉しく、後は動くのみです。1998年5月初めて高句麗の地へ行った時の好太王碑の写真を使わせていただきました。先生が撮影されたお写真です。何枚かの候補の写真を見ている時、当時の空気、風までが鮮明に蘇り、思わず、声を上げ、涙こみ上げました。世界遺産に登録される前でしたので、中国の田舎の民家の中に突然現れた石碑に驚きました。満開の芍薬の花が迎えてくれました。世界遺産に登録された後は、立派な公園となり、当時の面影はなくなっていました。当時の空気、風は愛おしいです。久しぶりに先生が撮影された好太王碑の写真を見ることができ、とても幸せを感じます。このパンフレットを持ち活動できますことは喜びです。お手紙を書き、封筒に詰めることも喜びです。たくさんの方々にお知らせできますように見えたままに日々動いて参ります。

今日は仙台コンサートに向けて、仙台版「高句麗の風」も作りました。仙台高麗屋、結工房から発信し、宮城県中に配布していただく気持ちで作りました。先日の仙台コンサートと翌日の結工房での先生の焙煎日では震災後10年目を迎える今年ですが、真の復興なくしては魂は浮かばれず、報われることもなく、悲しみを引きづり、地の底に落ちてしまう映像が見え、体でも感じ、辛く、悲しみに涙しました。これからが真の復興支援であると自覚したのでした。身に受ける苦しみ、重荷により身をもって感じたのです。今後の一回一回の仙台でのコンサートは震災直後に先生のチャリテイーコンサートを開催させていただいた時のように復興支援への道を作るように取り組んでいくことが必要と考えます。3月には盛岡でも開催させていただきますので、同じ気持ちで取り組みます。

1日の最後はキッチンラボでの仕事です。東京は高麗屋の前、キッチンラボの前で販売しながらチラシを巻き、外へと発信する機会は全て活かしていきたい気持ちで再スタートしました。無我夢中で向かい続けていきたいです。今は苦しい時は動き、心が曇る時は動き。。と動くことをまず始めに行います。動いていると胸がひらき、たくさんのひらめきが生まれ、生命が躍動します。動き道を作る喜びを感じる毎日に感謝します。そして、以前先生よりお聞きしましたことでありますが、人間は100パーセントやりきれば120パーセントの結果が生まれることをせめて行いたいと考えます。100パーセントやり切らずにこうなってほしいと願うことはおかしなことと気づきます。やりきり、結果は大いなる存在に委ねます。自分では良いと考えても、全体から見れば真に良いか否かはわかりません。人間としやることはやりきり、大いなる存在と共に生きることを経験できれば幸せと感じます。明日は、1月13日に開催しました「高句麗伝説」聴く会を開催させていただきます。バリトンサックスの音を聴かせていただき、好太王様のお姿がはっきりと見えました。お会いでき、全身震え、魂震える程感動しました。もう一度あの音を聴きたいと欲していました。何を感じ、どのような経験をさせていただけるのかがとても楽しみです。高麗屋にて上映会ではありませんが、電気を消し、心澄まし音を聴かせていただくひと時は真に尊く、幸せな時です。普段気づくことのないことに気づけることは人生をひらきます。ありがとうございます。

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パイプオルガンの前で
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盛岡にて
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東京高麗屋、高麗恵子ギャラリーにて