疎外
疎外と朝起きたときに知りました。昨日コンサートでなんにも要らないと感じたことは疎外だったと朝起き抜けに言葉になりました。
好きなことも、やりたいことも、はじまりは好き、だから、やるであっても、好きの芽はだんだん目的、目標を決めるようにして自分の体をこき使い、純粋に育っていけるはずだった芽は自分をこき使う疎外になっていくのをコンサートのフィールドのなかで経験させていただいたと、しずかに落ちる涙でも感じました。やりたいことが自分を疎外していく、今までに講座のなかで何度も先生からお聴きしていても、おおよそ自分のことでわかってはいても、おおよそ、たぶん、と言葉は中心を外し、外側を回っていましたが、先生のコンサートでなければ一生涯わかり得ることは無かったと考えます。それほどのことをコンサートでわかっていける機会はほかの何処にもありません。唯一、先生の存在、愛のフィールドがあるから。なにもない、要らない、と生命でわかる機会をいただいて、今からがはじまりです。先を創る言葉は生命のなかから生まれる。ありがとうございます。