疎外の時代から氣もち通い合う未来へ
予定を変更して参加した「集いの夕べ」。
その場に身を置けて、本当に良かったと、感謝の氣もちで満たされています。
Zoomの画面越しとは思えないほど、澄んだ空氣と、ぬくもりに満ちていました。
高麗恵子さんがふれてくださった「あきらめ」。
そのお言葉でハッとしました。見過ごしてはならないことを知らせる、静かな警鐘のように心に在り続けています。もちろん、未来を拓くお言葉として。
その後、それぞれの方が素直に氣もちを表してくださる中で、
ある方が語られた「疎外」という言葉とお話しが、
さらに奥の扉をそっとひらいてくれました。
私は、自分がどれほど疎外の中で生き、働いてきたかに氣づきました。
そして、世の中の多くの仕事もまた、
疎外された世界の中でのみ営まれてきたことに、今さらながら氣がついたのです。
その後もさまざま考え、一夜が明けて迎えた朝。
ふと氣づくと、「ではどうすれば疎外されずに生きられるのか?」という問いすら、
もう浮かんできませんでした。
「いつから私は、素直に氣もちを表せなくなってしまったのか」ということも。。。
その問いそのものが、すでに疎外の構造の中にあることが、
まるで天からの贈り物のようにわかりました。
氣もちがひらかれ、
感じたことを、感じたままに表せる「場」に恵まれています。
そして、自分を知り、本音を実現する「活動の場」も与えられています。
そのかけがえのない体験は、紛れもなく人類の希望であり、
この場の氣もちの通い合いが、人と人の本質的なつながりを取り戻し、
結果として、争いのない未来が自然と訪れるのだと、深く感じています。
今日いただいた新しい活動のひとときを経て、
今夜また、希望の場に集わせていただけることが、
心からたのしみです。
静かに、深く、感謝申し上げます。