異次元の経験
新時代の幕開け、琵琶湖高句麗伝説を誠にありがとうございました。一瞬一瞬が凄すぎて、あまりの衝撃で、目が離せず、聞き漏らすことはできないと感じ、その場に居させていただきました。感動も今まで勘違いだったかもしれないと感じました。真の感動は浸るものではなく、内から突き動かす力、動く力なのだとわかりました。このことを人に話さずしてはいられないと感じてなりません。2005年レバノン高句麗伝説のときのクライマックス、先生の音楽が終わると同時に、どんぴしゃりで高麗さんの詩が終わり、レバノン人、日本人、銃を持つ警備隊の人、性別、年齢、役割…あらゆる境は意識に上らず、全員総立ちで感動の嵐でした。その時は何も知らなかったのですが、他のスタッフの方から後から聞いて、実は予定では先に高麗さんの詩が終わっているはずだったそうです。ところが、図らずとも高麗さんが詩を読み終わるのと、先生の音楽は同時に終わったのです。どんなに打ち合わせをしても、もちろん打ち合わせをしなくてもできることではないです。この度の琵琶湖高句麗伝説ではその時のことを彷彿しました。自分だけなのかわかりませんが、同時にピタリと終わったと感じることが度々あり、驚き、鳥肌立ちっぱなしでした。後からハッと気づいたことですが、高麗さんは先生の音楽が図形で見え、詩に詠まられると仰られますので、本当は全てがピタリなんだとわかり、自分のわかるわからないという範疇で経験していては、今後はダメだと感じました。そして、私でも明らかに好太王様がお出ましになられたのはわかりました。高麗さんの声は全く違い、幾重にも層があるようにお一人ではないのをわかりました。詩を読まれた時に、この時を待っていたかのように、全開フルパワーでとてつもない存在が現れたのを感じました。舞台上で撮影をさせていただいておりましたが、世の中を一掃するほどの迫力で、言葉に尽くせぬものがあり、息を呑み、ただただ姿勢が正されました。
高句麗伝説を経験させていただき、とても嫌な自分の癖が、人とのあるやりとりから、自分の声と体の反応で、もう消えていることに驚きました。頭で思い込んでも無くならないことが、知らずに消えていく経験は本当に凄すぎることです。先生、高麗さん、誠にありがとうございます。そしてこの度の二日間は今までにないほど疲れ知らずであったことも、大変ありがたいことでした。早速昨日の朝一番の飛行機で宮城へと帰り、どんどん働けることにも大変感謝しております。
本日もどうぞ宜しくお願い致します。