異次元の受容
府中の森どりーむホールのコンサートをありがとうございました。一回一回のコンサートがあまりにも凄い一回です。
隠しごとがあっては本当の愛はなりたたないから、思っていることを洗いざらい隠さず表現する「打ち明ける(=ぶちあける)」ことが必要なのに、それはやろうとしたってまずできるものではないと先生にお聞きしました。それほどに封じられているから限界なのだと。(カウンセリングの場ではカウンセラーにそのまま受け容れられるときクライアントは自分一人では気づけなかった自分自身に気づくことが起こるけど、それでもだめでその先に「いだき」はある、究極の「ぶちあける」を講座2日目でやっているけど、やってもらう側が自分のことなのに理解できない、ともお聞きしました。) どうにもならない限界を「ぶちあける」テーマの開演メッセージを作成され、調律を繰り返してもこんなにピアノ鳴らないの初めてですよとおっしゃっていたピアノが鳴りはじめました。
「正しいことは」直ぐ行うこと。何もやらないのが問題なんだよ、準備ばかりして、悪い条件ばかり考えて、ともお聞きしました。まったく自分のことを言われているようです。
コンサートがはじまりました。
自分の表現によって「ぶちあける」ことができなくても、そのまま感応感受する存在に受け容れられる時、ぶちあけて「愛」を経験するとの御言葉と演奏に、ありえない先生の存在、その顕れを感じるばかりでした。どんなにすぐれたカウンセラーに会ってもあらわれることのない命の底の底から輝く光。先生という異次元の光に抱かれてスパークする自らの光の顕れ
浄化され澄んで澄んでこのうえなく透明な光の海原に抱かれ光になる神秘体験。100%満つ「確信」の瞬間、ここが先生のおっしゃった未来の「入口」
ありがとうございました。
先生、高麗さん、まことにありがとうございます。堤 康晴