男の死
第一部のメッセージに、三島由紀夫は『空』をわかっていたかもしれない。と以前講座でお聞きした(勘違いであればすみません。)ことを思い出しました。演奏では父方の祖母が現れました。一番良い時代の祖母、今は有料施設にいますが、楽しかった日々が思い出され、孫達みんな小さく未来が明るく思えた頃、今のような世界を想像出来ただろうか、と思うと泣けました。高麗さんが、可愛がっていた幼い子供が成長するとともに態度を変えると仰っていたことがいつも胸にあります。それは子供の成長にとって正常なことなのかどうか?成長するとどうしても大人ぶらないといけないので、それまで大切にしてくれた存在が無垢に声をかけてくると照れもあり、子供の時のままには返事を出来ないという経験が誰しもあるかもしれません。私もそれを当然と受け止めていました。湧き上がる胸の痛みは『成長痛、誰もが通る道』と思っていました。でもそれって本当にそうなのか、通俗的な世界に造り上げられた観念ではないのか。通俗的な世界に造り上げられた観念といえば、三島氏の写真集についても同じ違和感を感じた。正確には『写真集への感じ方』について。文庫サイズの写真集を私は学生時代手元に置いていた。時代の空気、昭和の時代を真剣に生きる眼差し。時はどんどん『おちゃらけ』をよしとする文化がはびこり、ピーヒャラピーヒャラが流行る中で、私もどこかおちゃらけを学び成長しました。茶化さないといけない、真剣は格好悪い、ピュアでないことが格好良い、成長である。それが父方の祖母や母方の祖母や、私の誕生を喜び大切にしてくれた人たちをえらく裏切ったとずっと胸が痛かった。でもそれは人に言えば『誰もが通る道で当然のこと』だという。言われるままにそうかと思ってきた。でもここに大きな違和感がある。そんなのは嘘だ。自分のまま生きられずに大切な人を傷つけた言い訳をするための嘘だ。当然なんかではないのだ、三島氏の目を見たらわかる。私は心の目で見ずに、通俗的な世界に造り上げられた観念で写真集を捉えなくてはいけないと当然のことのように思っていた。その感じ方を疑った。祖母を傷つけたのと同じように愛を傷つける社会性なんて必要ないのではないだろうか。涙が止まらなかった。
第二部では1音目からググっと押し広げられる内側の世界を感じ、コンサートメッセージの意味を考えました。『ひらかれる運命』。どういうことだろう。これからどうやって生まれ変われば良いのか、罪悪感にばかりとらわれて基盤が何もない空白で、自分のことも好きになれないとはどういうことなのか。いつまで茶番を続けるのか。愚かさを受け入れられないから、愛も受け入れられないのではないか。『コンサートに人を連れてこられないから自分が嫌い』と浮かびました。自分を嫌いな人に誰がついてくるんだよ、と、イタチごっこのような、卵が先か鶏が先かのようなことをもう一人の自分が言うのでした。それにしても、どうして私はこんなにも自分を嫌いなんだろうか?ナルシストなので自分を嫌うことで自分を守っている、暇つぶしをしている、という人から言われたかネットで見つけたかした見解がこれまでは『そんなもんかなあ』と最有力でした。しかしそれ以上の納得する理由。これまでの『社会に合わせて成長するだけで自ずと愛を裏切る世界』で生きてきたら、自ずと自分を嫌いになるのも当然のことだとわかりました。そりゃあ、嫌いで嫌いで当たり前で、なるほど!と光差すようにかなりの合点がいったのです。愛を裏切っているんですから。それを『誰もが通る道』で済ませては、そこまでになってしまいます。いだきに出会っておいてそれはないよ、と思います。
わたしには人生の最初から『おばあちゃん』がいます。とても可愛がってくれた弘前の大家さんのおばあちゃんから始まっています。おばあちゃん大好きで、畑をやるおばあちゃんのほっかむりとおそろいにすると言い、おそろいのほっかむりをしている小さい私とおばあちゃんの写真が残っています。そのおばあちゃんのことも小3くらいで裏切り、感じない振りをしても胸は痛く、どんどん無自覚に自分を嫌いになっていくはじまりを迎えたのでした。外見内面ともに若い娘さんに等しくおばあちゃんではありませんが最近少しだけ、同じことをしてしまうのではないかと、会場入り口やサロンでお目にかかる王様に感じるようになりました。当然良くないことです。それか、もうとっくにしていて、本来であればとっくにご縁が無いはずなのですが『いだき』なのでくっついてきてしまったモチのような自分です。
書き込みのタイトルは三島氏が亡くなる数日前まで撮影していたという写真集のタイトルです。コンサートのあとスマホで探しました。いだきコンサートに参加していなければその凄みは感じ取れなかったと思います。ありがとうございます。