申し訳ありません、有難うございます。
京都での講座を有難うございます。なぜいだき講座に来たのかというと、やはりきっかけがあり、自分の人生をちゃんと考えたり、豊かにしたくて、またもっと優しく豊かな人になりたくて来たはずです。
世界平和を創る場で、表現が大事と分かりながらなかなか何も言えない自分です。
でも分からないといけないと思い、気になっていたこと書かせていただきます。
ひとつはずっと表現すると仰ることが疑問でした、自分を表現するということがどういうことかとか、そして表現できない人はではどうなるのかと思ってしまっていたからです。
なぜかというとショックだったのですが生まれなかった子供が助けを求めてきた出来事があったのです。私のではなく、産婦人科でのことです。あるキーワードに関する夢ばかり見て気が付きました。女の人が幸せでないこと、表現できない誰にも分かってもらえないいのちのその時の無念な気持ち、まるで自分のことのようになりました。言葉にされなくても身体は声を発しているようなこと、それが、助けを求める声だったり、芸術から感じられることだったり、本当の姿のようだといだきに会う何年か前は不思議とそのことばかりでした。そしてそのようなショックなことがあった時、このままだと病気になると感じたときに前に向かって生きていくのではなく、逃げようとしたから、私は私でなくなってしまったようなのです。ないに等しいくらいにバラバラになっていく感じで怖かったのです。
大変怖い言い方で申し訳ありません。私自身が悪いことをしたわけではないのに、それでも自分に最大の悪があり許してしまったのだと分かります。
なのでずっと気になっていて表現以前に立ち止まってしまうことがありました。
私は生きているから今後は表現を尽くしていかないといかないです。
(コンサートで感じたことですが、あの子供達はもっと成長しているはずです)
存在論や、応用コースも有難うございます。本当に大事な機会です。自分は胸に空虚な感じや迂回するような感じが疎外と気づきますが、それでも常に先生がいてくださることは分かります。
素直でなく不遜な態度になってしまうこと、申し訳ありません、いつも有難うございます。
これから人生はじまりの気持ちで迎賓館のコンサートに臨ませていただきます。