生死の境目
アップされております最新のビデオ講演会は3月16日に収録していただいたご講演ですが、たまたま2度目を聞いた時、生死を分けるほど重要な事に、1度目に気がついていなかったとぞっとし、3度、4度と聞かせて頂きました。高麗さまが38年ぶりに鎮痛剤を1錠飲まれ、感覚が鈍っている状態をお話しして下さっており、それは、鈍くしている日常をよく自覚できるとてもありがたいお話でした。火事場の馬鹿力を発揮できる時の状態があります。人の生死がかかる時、自分の表現では、生身のままの状態があり、感覚鋭く頭も瞬時に働き、自ずと心も生命も中心となっています。今年に入り、新しい事を覚えていくよろこびをあらためて知り、先月より、集中力を高め物事を行う楽しさが蘇りましたが、高麗さまのお話から、日常のほとんどは、鈍い状態で生きていると気づき、早急に改めていこうと心し、応用コースへ向かいました。
いだきしん先生は、はじめにピアノを弾いて下さいます。凄まじいピアノの中に身を置かせていただきますと、内面はどんどん整理され、知らず知らずのうちに溜まってしまった、生きるに余計な事をどんどん消去していただいているとわかります。先生がなさっておられる事は計り知れず、全てを理解はできませんが、先生が何をなさっておられるかを理解しようとする重要な時間でもあります。せめて、わかろうとする事が人間としての礼儀とは、よく理解できます。余計なものを内面から祓っていただくことはお話の間中もずっと続き、先生のおからだを使い、動きやすく生きやすくなるのに、明日からも同じことは出来ないと、その気持ちは強くなります。先生がみつけられた事が人類史になかった事とは、プロセスをお聞きするなかでもよくわかります。
「気がついた時はもう手遅れ」との一言が、高麗さまが話されておられた事とひとつとなり、愛から生まれる警鐘と感謝しました。たった一言をわかった気になりほっとしてしまうか、生命全てでわかり行動が変わるか、生死の瀬戸際は正に自分自身の判断と行動とわかります。生き方、在り方と死霊や魂との関連性を正しくわかる能力も必要と考えます。
子供達が立ち上がった流れも自然界の出来事と受け止めます。柔らかい感性、心が傷つくような事はあってはいけません。ましてや誰一人も命を落としてはなりません。最悪な事態を阻止できるよう最大限力を発揮することが大人として当たり前のことと考えます。
いだきで生きる時、人智を超える働きがはたらくことが希望であり、そのようなおはらきを受けられる状態となり生きることを目指します。
ありがとうございます。