生命の道、真実の道
先日の仕事はたった2回で終了となってしまいました。
一見よくなく見える表面ですが、生命はそれを望んでいたにも関わらず、意識先行で変えようとしていなかった現実です。
このような状態は、ちまたに広がっているのではないだろうかと感じます。先日仙台コンサートで表現されました艮の金神の表れに、この度も白黒はっきりし、内側は、夢からも「それでもその仕事をやるか」、とよくお聞きしますお声で叱咤されるように目覚めましたので、目覚めた瞬間、正直経済面のことを考えると判断つかなくうろたえるのみで、あいまい続行状態でした。しかし、落ちることなくしてありましたのは、後から起こってくることは夢で先取りしわかっていたことでした。おおいなる存在によってこの仕事を未来に見、現実となり、現場から経験したことは、ほんの氷山の一角であると感じますが、世の中のありさまと、社会の制度のあいまいさが放置されたままでの取り組みに人は確かめもせずに組織の流れにのせられたまま生きていること、狛江の応用でコロナの数が3000人とか増えていっていてもその3000人の陽性者の方を状態をみていないというような話をお聞きしました時、確かに世間に公に表現することは、聴く側にとり、プラスになる状態がもたらされ、「ちゃんとやってくれているんだな、それなら安心して生きていける」とこの社会に対する信頼関係がうまれ、感謝できる状態で生きていきたいのが民の心であると感じます。実際に起こっている不備な現実を知ると、数値だけが公表されるその益となる意味は何があるのだろう、と首をかしげます。動いていくとき、ずれている目的にむかうとき、頭がはたらきませんが、生命はたらく真実の道を歩んでいるとわかることは、証として、ついさっきまでできなかったことが、なんなくできるようになっていることであり、驚きとともに、真実を生きる道には、裡に大いなる存在はたらきかけてくださっていることに感謝するばかりです。
今、今、瞬間生まれることを実行すると、生命の要求と受容がマッチし、愛の実現となり、ここで生きていけばいいのだ、と、先のこと心配し、頭であれやこれやとこねくりまわすような意識先行とならず、心満ち、安らぐ世界であります。よけいなこと外すとみえてくる真実の世界に、自分の頭の癖を直し生きなおす今に、まことにありがとうございます。