生命の言葉
高麗屋での北京高句麗伝説上映会にて、今の時を知り、どう生きるかを見ました。最後の詩は心臓に聴診器をあてて、心臓の音を言葉にしたものでした。今朝は、胸の奥深くが痛み、胸に杭でも刺されたようでした。自分でも驚くほど怒りが込み上げ、生まれて初めてのことでしたので、戸惑いました。昨日から食器を壊してしまったり、今日は転んでしまいと、何が起こっているのかが訳わかりませんでした。先生につながり、胸の内にあるものは抜けていきましたので、息をする度に痛む胸の苦しみはなくなりました。その後は、上映会にて先生の演奏を心澄まし、聴かせていただくより手がかりがなく、じっと聴かせていただきました。最後の詩と生命染み入る演奏を聴かせていただき、やっと痛んでいた体も胸も痛みがやわらぎました。心臓の声を詩に表している言葉を聞き、生命優しさに包まれました。先生がずっと伝え続けてくださってきました生命の言葉よりこれからは真に生きていけないことが生命をもってわかりました。昔であれば敵陣のど真ん中で開催した高句麗伝説です。公安の監視の中でいつもに増して緊張の連続でしたが、最後の心臓の声を表したことはおおいなるはたらきかけであったとわかります。途中、大切な詩が機械のトラブルにより、テロップが流れなかったことも見事なまでのおおいなるはたらきかけと今になると更によくわかります。これだけのはたらきかけがあり、奇跡的に開催できました北京高句麗伝説を見ていますと、先日の高句麗伝説での乙支文徳将軍のメッセージは真に起こり得ることと確信します。人間がひとつになり生命ひとつに向かえば、働きかけ満ち、世界を変えていけます。おおいなる力を与えていただきました。続く今日の語りと語り合いでは、五女山の999段の階段を一段一段登っていくのは、重荷をおろし、内をきれいにしていくことと気づく話し合いができました。北京の高句麗伝説上映会にて自分の内に屈辱を受けた憤りがあることに気づきました。それ故、気が狂わんばかりに怒りが込み上げてきたのかもしれないと感じました。内に過去から受け継いだものがあれば、外的環境に現れます。内は何もなくならないと平和は作れません。毎日、内にあるものをなくし、きれいに生きることは999段の階段を一段一段登ることと見えます。内も身も身軽になり、階段を登っていくのです。内が何もなくなれば、社会も変わります。五女山の夢も実現すると見え、今後の生き方が示されました。
明日といっても日つけは今日となりましたが、キッチンラボで克哲さんが夕食を作ってくださいます。私もお手伝いをさせていただきます。克哲さんがどれだけ考え準備してくださっているかとわかる機会があり、明日への取り組む姿勢が正され、変わります。何があっても人とし、お気持には応えていけるようにと私も姿勢を正し、向かいます。気持ちをわかり、共に生きることの大切さを改めて考える機会となりました。午後5時からです。皆様のお越しをお待ちしています。ありがとうございます。
