生命の歓喜に
高句麗伝説コンサート前に「存在論」を開催して戴き、夜も更けて今日で歴史が変わる緊張感が漂い朝を迎えました。家族で特別な5月13日の高句麗伝説の為に集えましたことが何より有難いです。今日という日の歴史的な意味をいたいほど空間に感じます。
人の命が人を助け、助けられていると何度も身に沁みた数ヶ月でした。素晴らしい経験までも過去の事として生きるのか、今に過去も未来も生も死も含めるように特別な瞬間を生きるのか、ほんの一字一句の違いで意味が大きく異なる程繊細な変わり目を生きている自覚が出来る今です。誰と会って生きているのかと糾されるお言葉の音に触れ、誠の幸いだと感じました。死について、存在について、愛について、考えることを止め行く仕組みの中で、自分の中の真綿のようなただの光のような気持ちにひとつ気づいたなら生涯を越えて終えることのない、存在が明確になるプロセスを歩み出させていただけます 。
思考が整理される夜、初めての夢、初めての朝を生きて高麗様のお誕生日に狛江に向かえますことが本当に嬉しいです。
昨日も三鷹の地に足を踏み入れ歩けることの喜び一杯でありました。
今朝は違う人間です。いのちがどの様にこの日を受け止め変化しているのか人智の及ばないことなのだと考えています。
何を求めて行ったとしても、それを遥かに超えて本来の喜びに出会える講座での時を有難うございました。死を考えられなくなる社会が、良心が育まれる空気に変わっている今朝が尊いのです。