生命の時代
比叡山の風は心地よく、国創りの息吹にあふれています。お掃除に来てくれた仲間と山の風は気持ちが良いねと話していると、鳥の声も聞こえ、私は自然に、ここにいると国創りという言葉が生まれるエネルギーがあふれていることを語っていました。ここは迎賓館もお茶室も工房もあります。国創りははじまっています。
大雨の中を帰京しました。家の玄関先に咲いている花水木の花が満開です。夜の闇の中であっても雨の中であってもまるで光が空間に舞っているように咲いているのです。美しいお出迎えに感謝し、私もコンサートにて皆様をお迎えする時に花水木がお迎えしてくれたようにしていければ良いと感じました。
23日の京都での「高句麗伝説」の体感は、私にとってはこれで世界は変わると確かな手がかりを得るものでした。神あらわれる場面であり、歴史が変わる場面でした。この歴史的出来事を経験した人とあの衝撃を。。。あの驚きを。。。共有できるときめきが生まれ、ウエブサロンをひらきましたが、神に出会ったということが伝わってくる表現がないことに違和感を感じてしまいました。が、たとえ多くの人がわからずとも、確実に世界は変わっていくことを私の生命は確かに感じているのです。23日前と後は違う時代を生きているのです。空気もまるで変りました。
先生の即興演奏を聴かせていただくと同時に見える図形を瞬時に生まれるがままに表現できました昨日の「高句麗伝説」の経験を経、今日は、先生側という表現になる状態を経験できますことに驚き、感謝します。知らない人の状態までも身に受ける先生の状態をどんなに考えても、想像することもできないのですが、人や社会、物事の見方が、先生の表現により表わされることがいかに的確であるかが図形的には完全に的にはまってみえるのです。すごい、としか言えないことは恥ずかしいのですが、これ程的にハマった言葉を何故人はわからずに生きてこれたのでしょうかと今までの事がいかに異常なことであったかを思い知ります。先生の生きてこられた生き方が真であり人間とし真っ当であることがそのままあらわる空間となっています。より透明度を増しています。今後は益々透明度を増し、あるがままがあらわることは予想がつく状態となっています。同時に今まで当たり前とし生きてきた生き方が、いかに異常なことかも浮き彫りとなり見えます。常に人が生きていけるように共に居てくださり、はたらき続けてくれている先生のはたらき、存在を生命ある人間であれば感じない人はいないとわかる空間となっています。その事実を自らの生命で感じたら、涙よりないと身にしみ感じています。
今日は、先生に報いていくには何をすれば良いかを自然と考えます。まわりに居る人にも、共に報いていけるように生きていこう、と言いたい気持ちが生まれます。人間なのだからと。。。人間になり生きていくと生命の内に光の川が流れているように、全てを包み込み、余計なものを洗い流しながら光ある命としていただいているようです。感謝よりありません。
2日間の歴史も時代も完全に変わる「高句麗伝説」をさせていただき、次は狛江、三鷹での「高句麗伝説」です。このことを表現するだけで、全身鳥肌ものなのです。いかに要であるかは畏れを感じる程です。この要の時を生命で要と感じない人はいるのでしょうか。人間であればいないと今日となればはっきりと言えるのです。狛江での「高句麗伝説」はとてつもないことが起こり、魂がそのまま現れますのでとても畏れを感じます。誕生日でもあります。今年は狛江より会場が空いていなかったのです。月曜日であるというのに。。。よって、先祖代々1300年生きてきた三鷹は14日開催となったのです。この流れが恐ろしく、日程と場所を言うだけで、武者震いが起こり、全身鳥肌が立ちます。全身全霊で向かえる人間となるべく今から備えます。そして、一刻も早く完売となりますように、猛烈に動きます。この動きにはいつもおおいなる存在が共にあります。最高に生命躍動し、喜び満ちます。おおいなる存在共に歩める人生は最高に幸せと感じます。これからの日々は、歴史を創る日々を生きていけると感じ、心躍動します。一気に新しい世界を創り上げ、世界が変わる動きをしていけるように生きて参ります。
明日は、午後5時半頃より六本木地下ギャラリーにてビデオ講演会をさせていただき、仙台へ向かいます。ありがとうございます。