KEIKO KOMA Webサロン

生命そのまま


2日間の迎賓館コンサート、そして続く3日間の高句麗伝説に向かって、本当にありがとうございます。もろに生命の限界にあったことを解決してくださっている先生のお働きに本当にありがとうございます。
昨日は先生の演奏に違和するものが炙り出され、自分自身に対して憤りを感じ憤りの渦の中でその理由を問うよりありませんでした。違和感は胸の奥の焼けるような痛みとしても表れました。最後、突然、はるか彼方を感じ、生命交流する空間と内面が通じた瞬間涙が流れました。講座2日目にどこにも抜け出し口の無いどん詰まりの中で初めて出会った光と通じ、奇跡を経験した瞬間が蘇り、光と生命が交わった瞬間にやっと生きていけると感じ胸の痛みが引きました。

高麗さんのビデオ講演会で何が起こっているかをお聞きし、そして自分の感じることからも考えていました。人を説得し納得してもらうために企画書を書き、校正すれば校正するほど言葉は洗練されていきますが、一体私はなんて馬鹿なことをやっているのだろうかと気づきました。言葉だけが先行し整えば整うほど、ちっぽけになり動きが止まっていることに気づきました。
思えばここ数週間ほど、時間もお金も使いながら、なんの生産性もないことの繰り返しで、表現も表面上のことから深まらず、抜け出せないままに過ぎていました。まさかその原因が今日のコンサートで明らかになり、変化できるとは思ってもいませんでした。

今日のコンサートでは、先生の音が生命に響かない状態が問題であることを、先生の音と生命がぴったり一致した瞬間に目が醒めるようにわかりました。生命にぴったりとひとつに共にあってくださる先生の存在に会い、はじめて私自身が私の生命そのものと出会うことを経験しました。愛してくださる先生の存在、私の生命だけでなく全ての生命、人も自然も同じに愛しておられる先生の存在を知り、涙よりなく、人間社会の歪さを考えました。生命そのままを表現してくださっている先生の音がわからない状態はよっぽどおかしいと感じました。ある何かの対象に対して理解できないという状態とは異なり、自分の生命そのものがわからないという状態の異常さを考えました。苦しいことを苦しいままに受け容れてくださる先生の働きを受け容れて私は私のあるがままを受け容れたとき、音の響きもリズムも全て自分の身体全身と一致し素晴らしい瞬間でした。しかし途中、これ以上あるがままをわかってしまうことの恐怖を感じたとき、本能的に意識が働き自分の頭が自分の身体を観察していくことも経験しました。身体が硬直していることを見、意味付けをはじめ、まるで私の頭が生命をコントロールしていると感じました。何度もその状態を繰り返し、そのたびにどう意識したのか、振り切り、再び音と生命を感じることに徹し、、そのプロセスに自分が自分の生命をコントロールする苦しさも生命傷つき傷つける悲しみも感じました。それらを全て受け入れてくださる存在と会い、私自身の存在と出会いました。私はこうであるとは到底言い表せない言葉にならない生命そのものでした。

自分のことを対象化する意識は当然そのまま人のことを対象化し、対象化したもの同士が愛し合うなど嘘と感じ、騙し合いであること、またそこにあるロマンの世界を剥がせば。。と本当のことをお聞きすることはとても痛快で視界が晴れていきました。続かない嘘の苦しみから抜け出したく、互いに生命そのままを受け容れあい愛し合う、まさに講座2日目で起こった奇跡、また今日のコンサートで経験した優しさを生きる以外に先はないことを感じました。仕事ですら成っていかないことを経験します。

昨日のコンサート後、自分の身体を磨くように洗うことをお聞きしたことを自ずと実践していました。正直中にあるものを洗い落としたくて、生まれて初めて身体を磨くことを意識して洗っていました。こんなに丁寧に洗ったことはないと感じ、とても楽しく磨いていました。身体の皮膚が綺麗であることは内面が綺麗であることのお話を今日もしてくださり、どれだけ粗雑に生きているかを認めます。

改めて、コンサートで経験していることの多大さ深淵さを考えると、お金の価値にも時間にも代えられないとてつもないことと感じます。生きてこのような経験ができますこと、その機会を本当にありがとうございます。

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