生まれ変わる日
先生のピアノを背筋を伸ばしてお聞きすると、穢れを払って下さること、頭も体も明晰さを増すこと、この世の次元だけの表現ではないことなどはよくわかりますが、その内でどんな未知なるもの、または既知なるものを表現して下さっているのかは高麗さんの書き込みを読むまでなかなかわかりません。それでも高麗さんの書き込みやコンサートメッセージを読ませて頂くと、『ああ、確かにこの感じはピンとくる』などと自分の経験と重なるところもあります。とにかくこれからどうするか、変わりたい一心で椅子に座っていましたが、コンサートの経験をなんとか現実に活かしたいと必死になりすぎている感じも自分にしました。そのままを感じられなくなるのはまた遠回りです。
はたらきかけが注いでも、悟性というか、知性というか、そのはたらきかけを受けて理性にまでつなぐパイプの筋肉がやたらと弱いと演奏中に感じていました。せっかく感性が天をキャッチしても理性の器が小さすぎて、またそこにまで繋がるパイプも弱いので、はたらきかけを活かせていません。このパイプを一瞬一瞬、鍛えていく。
コンサートが終わり会場から駅に向かう間に、早い新幹線に乗る受講生さんたちが私を追い越していかれました。そのときに、ある方からは『雰囲気が違う、妙齢の女性かと思った!』と、またそのあとから来たある方からは『大人になったねえ』と言っていただき、ほとんど後ろ姿だったと思うんですが、心通じ合う感じが楽しく嬉しかったです。また新しい人生が始まります。
ありがとうございました。