生まれる命の言葉
17日は28年前に起こった神戸大震災の日であったこと、仕事の忙しさにすっかり忘れていました。当時は里帰り出産のため実家に帰省していました。敦賀の助産院で生むため、神戸まで支援物資を運ぶ輸送トラック後ろを父の車で走ってもらいましたが、道路がアイスバンで凍っていましたので渋滞で止まると前の大きなトラックがツルツル後ろに滑ってくることがとても怖かったのを今でも覚えています。後部にいた上の子はストレスの余り、父の車の内側のドアのあたりを歯で噛んでしまい、歯の跡がずっと残っていました。いだきに出会う10年前のことでした。先生たちが神戸でいだき講座を開催されており、被災されていたなど、夢にも思わなかった頃です。
ビデオ講演会を2つ拝見させていだき、毎日5分でいいから、やることが心に響き、今日はやっと向かうことができました。私の部屋は暖房をしても寒くとてもやる気にならなかったのですが、やってみると心が癒やされ、やりつづけると、余計なものが出ていったのか、空間が変わり、次元も変わり、深く癒やされました。夜中にお風呂に入って温まったとき、生まれた言葉は、高句麗を表したい、です。12日の京都高句麗伝説での経験のあと、すっかり自分は変わってしまいました。今まで、高句麗をどのように対象化していたのか、それすらも忘れてしまっているようです。京都高句麗伝説の始まりの音から身に覚えのある音だいすきな音でありながら、その旋律に肯定する気持ちと相反する気持ちが頭の中でごっちゃ混ぜになりました。舞台が進むにつれ、先生の音は高麗さんの言葉と融合する世界で、高句麗の王様立ち現れ、ひとつに融合し愛を経験しました。言葉にするとなんと貧弱になるのか、このような言葉ではあの経験はとても表せません。舞台には王様達が高麗さんを囲み、ともにおられるようにありました。過去、高句麗が果たせなかったことを高麗さんに託し、ともにありゆくと空間から感じ、紛れもない王様の子孫であることは重々わかり、高句麗を表すよりない人生なのだと、感じました。そして、京都高句麗伝説後、私は好太王様の気持ち、東明王様の気持ちが嫌というほどわかり、ひとつとなり、高句麗の途方もない愛に癒やされました。芍薬の大輪、愛の空間はわが身とひとつです。高句麗を表したい、は、昨年の先生のコンサートでも生まれていました、が、そんなことできるはずがない、と、恐れ多く言葉にすることはできませんでした。今は、静まった夜中、素直にそのまま言葉にさせていただけ、感謝します。ありがとうございます。