生まれてきた意味がわかり人生これからの時をありがとうございます
三鷹でのコンサートは、感動の波が押し寄せ、全身で拍手をしてもこの感動は表し尽くせず、人生忘れられない経験となりました。この時の為に生きてきたと今日の経験をもってわかりました。昨日のコンサートから、先生の音から見える図形が変わっていました。全ては球体に見え、この球体は何と表現すれば良いのかと考えました。正に先生からお聞きした全方位と見えます。内面を辿ると、以前見た図形と同じと思い出しました。それは10月1日狛江での「高句麗伝説」にて、初めて見た存在と同じでした。全体とし現れた先生の存在です。それ以来、初めてのピアノコンサートなのだと気づきました。故に一音一音が先生の存在であるのだとわかり、身震いするばかりです。先生の存在あらわる空間では真の自分の存在が現れます。
三鷹のコンサート会場にて、先生のメッセージを詠ませていただく時、マイクに向かい声を出そうとすると震えてならず、いつもにない経験をし、緊張で胸がドキドキ鳴り、身が震えました。この反応は何なのだろうかと初めての経験に驚きながらも、メッセージが大変素晴らしく詠ませていただくだけで感動しました。
一部「新しい時流」のメッセージの中で、部分を抜粋し、恐縮ですが「言語中枢に蓄積された言葉をもとに新しい時も古い時も正しく理解することは叶いません。」
「愛という言葉も平和という言葉も最初は豊かに反応します。しかしやがて裏切ります。」このことばかりが心に浮かび、演奏を聴かせていただいていました。長い間、いだき、NPO高麗の活動をしてきましたが、最初は活動趣旨に賛同し、活動をはじめても、裏切りにより、途中でやめる結果となるのは何故なのかは常に疑問と感じてきたことでした。ちょうど、三鷹のコンサートホールの楽屋にて、昨日のヤマハホールでのコンサートの経験をビデオ講演会にてお話しさせていただいた時にこのことを話していました。常に疑問ですが、昨日のコンサートにて、新しい流れに乗っかると、このようなこととは無縁な世界でしたので、もう考えなくて良いのだと考えました。今日には答えが出たのです。先生のメッセージ「言語中枢に蓄積された言葉」では、理解できないので、「愛、平和は基本中の基本です」と先生が書かれた通りに最も基本である言葉ですら、生命とひとつとなっていないので、裏切れるのだということがわかりました。コンサートでは生命ひとつである人間の生命、そして生命と生命が交流し合うこと、愛を経験します。この経験を正確に理解し、言葉に表せたなら、裏切ることはできないとわかります。途中、いつもの癖で雑念が浮かぶと、浮かんだ瞬間、流れから外れていました。大慌てし、急いで内面を感じること、先生が表現される演奏に全神経を集中し、生命全てで聴くことに集中します。肝臓の中心に音が届いた時、生きる要は愛と体得しました。要を外したら、生きていけず、新しい流れからは外れてしまいます。新しい流れに乗れなければ終わってしまう時代であることを今日は身をもって経験しました。肝臓の中心、要は愛とわかり一部が終了しました。
第2部は、メッセージを詠ませていただくだけで、胸の奥深くから涙がこみ上げ、感動に胸打ち震えました。今日もあまりに素晴らしいメッセージを皆さまと共有したく、掲載させていただきます。
「一点の曇りもなく」
「曇りあればせっかく訪れている時を逃します。一点の曇りですら真を外します。一点の曇りもない「愛」は真です。一点の曇りもない「平和」は平和実現の実践力です。一点の曇りもない純粋で清い心は聖なる心といっていいでしょう。使い古した表現ではありますが。。。ただただ曇りのない命で生きることによって全く新たな流れに乗れます。乗れたらますます美しく輝き、強く、正しく理解し、戸惑いなく生きれる自由があります」
平和と詠んだ時、胸の奥深くからこみ上げる願い、祈りが涙となりました。この気持ちは真と生命でわかり、一点の曇りもない「平和」な生命となり、平和実現の実践力となることを切望し、成ることを心に誓い、演奏を聴かせていただきました。一部で雑念が浮かんだ瞬間、流れから外れましたので、2部は流れに乗れるようにと願い、心澄ましました。今朝見た夢を思い出しました。人と対立する意識があると、闘います。私が闘っていた相手は、人間ではなくなった悪魔に魂を奪われた何者かわからない生き物です。わかってほしくて必死に話し、わかってもらえないと更に必死になり。。。愚かであったと夢では一目瞭然と見えました。闘う相手ではなかったのでした。平和を願う気持ちは一点の曇りもなく純粋であることを生命で確認でき、涙よりありません。そして「平和」と表現された状態をコンサートでは経験出来ました。至福の喜びに満たされました。
一点の曇りなくを基準にし自分の状態を見ると、悲しいですが、曇りが見えます。平和を願う気持ちだけは曇りがなく、感謝にあふれました。夢に見た闘う意識は曇りに見えます。悪魔に引っかかり、怒りにより自分の生命を痛め、苦しめることもたくさんしてきましたことも曇りと見えます。そのまま受け止め演奏に集中していたある瞬間、突然、全ての覆い、曇りが取れ、最も純粋で美しく清らかなどこまでも澄んだ透明な水色の光が現れました。生命の深奥に隠されるようにしあった光です。同時に父が現れました。父の悲しみ癒され、父の気持ちは報われました。涙、涙、涙です。愛のエネルギーが光となり、光の大河が流れています。東明王様の母、柳花様の悲しみを表す「大河の秘密」の詩が心に浮かびました。私は「悲しみの大河」という詩をよく書きます。コンサートでは「愛の大河」が見えました。五女山の愛がわかり、人生は逆転し、裏が表にひっくり返り、悲願でありますロシアへの道が拓かれました。今日のコンサートにて頭がひっくり返り、源は愛と生命で経験しました。自分の秘密が解かれました。生まれてきた意味が現れました。人生これからが本番と先生がおっしゃる意味を生命全てでわかりました。真にこれからが生まれてきた意味を実現する真の人生です。
アンコールでの手拍子は力の限り手を叩きました。無我夢中で、何もかもひとつで、時を超えた世界を経験しました。アリランでは、胸の内で咽び泣く魂と共にただただ涙がこみ上げてくるのです。悲願は成ると見えました。そして引き裂かれた同胞の魂にまもなく会えると見えました。
三鷹の地に先生をお迎えでき、先祖代々の魂と土地が心よりの感謝を伝えていました。私は涙よりありません。今日という日、今日のコンサートでの経験は忘れることはできません。毎日コンサートをと望む気持ちを実行することを考えていますが、毎日三鷹の地で開催できればいい、と望む気持ちが生まれます。風のホールもピアノも調律師さんも揃っています。そして土地も。。。と土地に光が見え、何回も先生が三鷹の地にてコンサートを開催してくださった実りと見え、先祖代々の魂と共に心よりの御礼と感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。