生まれてきた意味
第一部「Conatus」(コナトゥス)
「Conatus」という言葉の歴史は2500年の推移を通じて広がってきました。
存在者に内在して、そのものを動かす原動力、傾向をあらわします。
(ブリタニカ国際大百科事典より)
ここでは17世紀の哲学者、スピノザが使った意味を採用します。
スピノザは、存在し自らを高めつづけようとする傾向、すなわち
人間の本質の力を「Conatus」と云っています。
「Conatus」の原義は、努力、衝動、傾向をあらわします。
日本語で単に「努力」というテーマとしたときに、
ほとんど頑張るという意味あいになってしまうでしょう。
本質的にある「Conatus」を自覚せずして努力しても、
いくら頑張っても成果は上がりにくいでしょう。
更に努力の継続は難しいでしょう。
そういう意味で「Conatus」は
人間に内在する本質的力です。
第二部「生命を促進する愛」
愛あるところに喜びがあり幸せがあります。
関係に不純が無いということです。
関係のバランスを意味しているわけではありませんが、
意図する関係のバランスは何らかの病を触発します。
愛は生まれながらにある生命の本性と生命の本性が交わり、
まず生命を維持し、更に発展し成長し、時間に制約されない
無限な世界と一致していきます。
一見、循環論のようになっていますが、そんなことはありません。
精神、魂は歳と共に成長してこそ、精神、魂によってわかります。
精神、魂は何によって成長するのでしょう。
いうまでもなく 愛によってです。
感動、感動、涙、涙の素晴らしいコンサートをありがとうございます。この胸に押し寄せる感動の波を表現させていただけますことに感謝します。
爆撃の音が鳴っているという内容のレバノンからの便りから一日が始まりました。心配でならず、祈るように過ごしました。昨夜ニュースで見た負傷した子供の恐怖と不安に怯える表情は心に焼き付いています。先生のコンサートより望みもなく、解決の道がないと甚く感じ、今日のコンサートに賭けていました。
今日も、私の知らない言葉「conatus」というコンサートメッセージでした。メッセージをそのまま受けとめます。演奏をお聴きし、存在について考え続けました。気になることも頭に浮かびます。この状態が他のことに心を奪われているのかと、いつもの傾向で心配もしました。が、心も頭も他のことに奪われている訳ではなく、気にしていくのが自分の存在と受け止めると、演奏の全てが生命の内に入り、力となっていくのでした。生命の内は熱い力が注がれ、埋まっていきます。やがて生命全体に熱い力は満ちていきます。揺るがぬ要が作られていく経験をさせていただきました。メッセージにありますように、「「conatus」を自覚せずして努力しても、いくら頑張っても成果は上がりにくいでしょう。」という状態はよくわかります。いだきで生き始めたら、それはあり得ないことです。存在あらわれてこそ成果が上がります。そして「「conatus」は人間に内在する本質的力です」をそのまま経験しました。気になるということは解決していく為に自分にはやることがあるとわかりました。考え、取り組んでいこうとすると、大変力強く、熱いエネルギーに満ちてくるのです。熱いエネルギーに満ち、一部は終わりました。
第2部では、愛よりなく、感動よりありませんでした。負傷した子供の恐怖に怯えた表情が心に焼き付いていましたので、私は自分がやりたいこともやるべきこともよくわかりました。子供の悲しい瞳を見ることは耐え難き悲しみです。それだけはない平和な世界を作りたいと切望します。自分が存在する意味もわかりました。なんとかしたい気持ちを表し、実現していくことが生きる意味です。今日アップさせていただく予定の「世界伝説」にてスペインでのコンサートリハーサルの時に先生が私の生命の真の光を表現してくださった場面を書かせていただきました。その時の音から見える図形が今日は蘇っていました。真の光、資質を世に表し生きることは生まれてきた意味も存在する意味もわかり、実現していくことがそのままわかる今日のコンサートの経験でした。これからが真の自分、資質、存在を表していく本番であります。危機にある時代は人間が人間となり、真の存在表し、真の力を発揮するより生き延びていけないことも生命をもってわかりました。子供が悲しい世の中は、耐えられません。なんとしても子供達がすこやかに生きていける世界を作ると新たに心に誓いました。折しも今日は、出がけにえりかちゃんの御心に触れ、胸の内は感動に震えていました。純粋で美しい子供達が生きていける世界を作るのは、先に生まれた人間の行うことです。今日は、子供達が生きていける社会、地球環境をつくりたい本音でいだきをはじめさせていただきました原点に戻り、自分が生まれてきた意味もわかる経験となりました。最高です。アンコールの愛の演奏の素晴らしいこと、この上なく、世界中の人と一緒に経験したいと今日も心の底から望みました。先日出会ったポーランドの方々の瞳も思い出し、皆で先生のコンサートを共に経験したいと涙にじみ望みます。世界中の人に届きますようにと祈ります。そして今日からひたすらコンサート動員活動に励みます。愛を経験した人間が、愛を表現し、コンサートをお伝えできますことの幸せに感謝あふれます。淡々と行なっていく先には、奇跡が起こり、ある時突然世界が変わると見えるのです。やり続けていく力があふれます。涙、涙の感動のコンサートを心よりありがとうございます。涙によってより、この感動を表せないことも感動しました。
今日もお越しくださいましたウクライナ人は、大喜びです。先生の音は平和と日本語でおっしゃいます。明日は私の写真をインスタに載せたいとおっしゃり、ご自身から写真を撮っておられました。はじめてのことです。今日のコンサートでも感じていましたが、自分で表現し続けていくことより道は拓かないとしみじみ考えていましたので、私も今日から気持ち新たに表現し続け、発信し続けます。ありがとうございます。