生と死
とても長い時を過ごしたような不思議な時間が流れ全てがリセットしたように感じた盛岡での経験です。知識があってもその事を身体で分からないので小さく箱の中に入れ込んでしまった生命がもがきながら箱から出てはみても余計な過去で作った意識が阻みます。死と言う事を考えた時一番怖かったのは死んだらいだき先生、高麗恵子様にお会い出来ない事です。あまりに存在が違い次元が遠く離れていることを存在論でいだき先生に対峙して認識しました。肉体がある時は、物理的に会えますが魂だけになったときは自分の存在を現さずして会えないと実感します。死については、ずっとその事を考えていました。先生のお話を聴いていると死に向かい生きて流されていく時間が今生きる瞬間に同時に死があり生きる選択をし続ける生命の躍動を感じます。このままでは死ねないと。病気であろうと仕事がなかろうが今、生きてやることがあることに希望があります。新しく生きる始まりにするために無理してでも盛岡に来ました。そして19日いだきの始まりを創って下さった晴美様の命日のコンサートを迎えます。光となられたあの日の事を忘れた事はありません。あの光はずっと共にあり支えて下さったと感じ涙溢れてきます。これから始まる豊かな人生を考えると嬉しくてたまりません。いだきしん先生、高麗恵子様いつもありがとうございます。