魂への刺青
上手くいかない根幹が、過去に自分が人を裏切ったこと、不義理をしたことにあったと改めて気付いて、もう二度としないと責めても、今思えばどうしてそんなに非道いことが出来たのかわからなく、本当に自分のやったことなのだろうかとその品性の無さ、下劣さをそのまま認めていくよりない状況です。2014年~2015年くらいの出来事です。周りの人は『独立するとは競争社会なんだからそんなものだよ』と言ってくれたりもしましたが、私は人を裏切ったり不義理をしたりすることがものすごく嫌で、そこが土台になってしまうとうまくいかないのだとわかりました。『みんながいいと言っているからいい』は無いです。それも、特にそんな愚かな私に対しては、誰も本当のことなんて言いませんし。
2003年にもありました。裏切りたくなかったのに裏切らざるをえない状況になり、やはり周りの人は『犯罪をしたわけでもないのだし、気にしすぎだ』と言いましたがやはり私は、周りがなんといっても土台がほんの少しでも裏切りや自覚的な不義理に基づいている全部壊したくなるし、少しでもあると自分を許せずに苦しめ続けたくなるのです。周りは『そのくらい汚れないと社会では生きていけないよ』と言う。社会人としての義務的な意味も含めて、行わざるを得ないと信じていた裏切りや不義理。社会で生きていく洗礼に、若いから苦しむだけか、と思っていましたが、若いせいではなかったです。嫌なものは嫌なのですね。
覚えているだけで社会に出てから2回やっているということは、これは生き方の癖だとわかります。
私に出来るのはそれらを無かったことにせずにきちんと向き合って、出来れば人にも語って、自分が遠くない過去どれだけ愚かだったか、どのようにして変わったかという現実を晒していくことしかありません。人を裏切っても幸福にはならないこと、心通じずに勝利してもそれは勝利とは呼ばないこと。どうしてあんなことができてしまったのかと自分の中の大きな膿を抱えて生きていくのは辛いですが、自分のしたことなので仕方が無く、苦しみ続けたいと思います。どこかで自分を赦さないと先へ進めないというのはありますが、人を大切にするという当たり前の在り方、誠実さ、心の繋がり等人間であることを忘れた日には明日はないとだけは魂の刺青として刻まずにおられません。
どうしてそういうことが出来てしまったのかという心理と環境・状況等も良く分析して、己を良く知り、もう絶対に裏切りと不義理はせずに生き仕事をすると誓う夜明けです。誠実であることは当たり前。それに勝る仕事はないです。
さらに、その後の2016年くらいの日記を見てみても、『こ、こんなに馬鹿だったら、何も適切に判断できなくても、仕方ないよね・・・』と驚いてしまいます。私の人生は、いだき講座受講でも始まっていましたが、いつからかいだきの催しにたくさん伺うようになってからが本当のスタートだったのではないかと思います。その行動が本音に即しているためスタートを切れたのではないかと。
『人は、だまさなければいけない』と信じている頭。『だまさなければ生きていけない』としか知らない。それが少し前まで当たり前だったなんて、、、。
祖母の納骨に立ち会い、家族や親戚とも話し、つかの間の帰省で、見えてきたことがたくさんありました。
コンサートへ向かわせていただきます。