生きる
初めての迎賓館コンサート、次の日の死について、三鷹コンサート、応用コースと連日今の時代を生き抜くために必要な機会をありがとうございます。迎賓館コンサートは最初の一音がまさに身体に飛び込んできて、一気に脈拍があがり倒れるかと思うほどの衝撃でした。自分にある限界や枠が次々と表れては、突破されていく体感でした。誠にありがとうございました。死についてでは「このまま死んでいくのか」という先生の問いに首を横に振りました。時折、このような状態の生き方では生きていても仕方がないという感覚に襲われます。しかし、死にたいのかというと死への恐れがあるということは、今は死にたくはないということなのです。生きていても仕方なくはない生き方ができればよいだけだと思います。一方春の訪れや人との触れ合いには心が慰められます。できる限り毎日散歩にでかけ、自然の移り変わりを肌で感じます。桜が咲き、ヤマブキの黄色に心躍り、今はニリンソウの白い小さな花が咲き乱れています。公園で毎日ごみを拾う方をお見掛けし、いつしか自分も同じように拾っておりましたが、おはようございますのご挨拶に微笑む日々です。今日も体操をされているお年寄りの方や、お散歩途中のご夫婦などお顔なじみの方とも挨拶を交わすと、自然に今日も皆様お元気でいらっしゃいますように、また明日会えますようにと祈る自分に気がつきます。ウグイスの鳴き声に、ずいぶん上手になったねとつぶやき、今年も咲いてくれる花々にもありがたさを感じる毎日です。来年同じように咲いてくれるかはわかりません。当たり前など何もないと感じます。昨日の、モノのお話しに通じるかわかりませんが、自然に対しても、人が創ってくれたモノに対しても、対象化するのではなく、モノに宿るそれこそ、みえないモノと、ともに生きる精神が日本にはあると感じます。針供養、包丁供養、人形供養などなどもその表れではないでしょうか。そのような根底に同じ精神を宿す世界中の方々との愛の連携が希望です。こうしていても通じる人が世界には確かにいる。愛の連帯は先生の音により強化、接続されます。日本の精神を発信、表現していくことが必要です。今日もよろしくお願いいたします。後藤美香