生きる道を作る
雨の比叡山を発ち、東京に帰る道中、先生が運転してくださる車に乗せていただき、気づけば、何度も寝入ってしまいました。比叡山にて滞在中は、朝5時までエチオピアの知人にいだき講座のことをお手紙にてお伝えしなければいけないこととなり、書きました。それは書かないと体中が痛くなるので眠りにつくよりも表現した方が良いと判断したのです。いだき講座のことは曖昧にはできず、いつも表現し切るようにしています。そして多くを感じ、多くを考えます。今朝も体が痛く、動くとため息が出てしまいました。何故かと考えていると寝てしまうのでした。東京に着く頃は、あるがままが現れたと感じました。今まで、人に会うとうんざりしてしまい、それでも気を取直し、また会いにいき、またうんざりし。。を繰り返してきたことを認めざるを得ない時が来ました。自分の我であり業を乗り越えたく修行と考え、常に言い聞かせやってきたことに疲れ果ててしまったことを今日は甚く自覚しました。最も純粋な気持ちで人に会い、いだきをお伝えすることなくしては伝わらないことは過去の経験で生命をもって分かっているのです。完全にそうなるべく修行、訓練と考え取り組んできましたが、我によって行ってきたことはこれ以上できなくなりました。3月2日の迎賓館でのコンサートから先生の人生が始まりましたので、我の終焉を迎えたことを身を以て経験しています。故に今日は隠しようも誤魔化しようもなくうんざりしていたことが現れ出たと受け止めました。偽善となると自覚し、正直にある文章を書きました。正直に書くと、元気が出てきます。生きることの本質、深さを表現できると力が出てきます。人間の人生について、人間としどう生きるかを常に考え生きてきました私は、人生のことも人間としてどう生きるかを考えない人に会うと嫌気がさしてしまいます。本質的な言葉はかすりもしないことに寒気までしてきます。先生よりわからない人にばかり会っているからとおっしゃっていただき、最も表現したい人間の本質やいだきで常に学び、経験していることをお話しできる人に会えればいいのだと考えても日本にいるのかと首を傾げてしまうのです。過去にはその人に会いたく、探し求め日本中を歩きました。かなり前、その人は九州にいるかも知れないというお話をお聞きしたので九州全県でコンサート活動をしたことがあります。先生からその人はもしかしたら畑で野良着を着て、農作業をしている人かも知れないとお聞きし、畑道を歩き続け、野良着を着て農作業をしている人に片っ端からお声をかけ、日本の為、世界の為、人類の未来の為にとお話し、コンサートをお伝えしました。全滅という結果を見、一つの比喩でおっしゃたのだと気づきました。やってみないとわからなかったので、やってよかったと考えています。人を見た目で判断してはいけないということはいつもお聞きしていたことです。誰がお客様になるかわからないとはピアノの営業の時から先生に教えていただき、実践し、わかる経験をしていましたので、コンサート動員活動でも極力全ての分野を網羅し歩きました。結果、日本にはいないと甚く感じてしまったのです。先生から日本人は国の為や未来の為に考える人がいなくなってしまったとお聞きし、探してもいないのだから、世界中で探せばいいとご指摘いただき、最も表現したいことを表現できる人に会いに行くことを考えると力が湧いてきました。今日もニュースで日本のことを考えている記事を読みました。その記事の反響も多く、反響も読みました。日本のことを考えていると書いてあるので、今まで、まだ日本にもいるかも知れないと気を取直してはやってきたのです。が、この人に会いたい気持ちにはならないのが正直な気持ちでした。状況を観察し、批評、批判の文章は日本の為を考えていることではないと今日は見切りがつき、世界の中で探し、会いに行くと決めました。まずはここから始め、次の道を考えます。ありがとうございます。