生きる姿勢
盛岡コンサートをありがとうございました。素晴らしいコンサートに参加でき心から感謝申し上げます。
昨日は午前中に仕事を終え、なるべく空いている新幹線を選びましたが、盛岡に着く頃には一両に4人しか乗っておらず新型コロナの影響は全国に広がっていることを感じました。東北に近づくに身体が解れていくのがわかります。盛岡でのコンサートは私達のように東京から行った人間がいたから感染した、などと言われないようにしないとと心を引き締めました。会場では体温の測定やアルコール消毒、他の人との間隔を開けるなど、主催者側としての責任の重さを感じました。後に全ての席を消毒された事をお聴きし、感謝しかありません。
一者よりひかりあり、根源、との言葉が続くメッセージの第一部。メッセージの内容は直ぐにはわかりませんでしたが、ピアノの第一音から、今日盛岡のコンサートに来て良かった、、そう安堵しました。ピアノの音が身体全体に降り注ぐように響きます。この度は二階の席でしたが、周りの雑念や雑音が一切なく、まるで両手を広げて天を仰げるような心地よさでした。休憩時間では一者の意味を調べていましたが、まだ身体でわかったとは言えず次の講座を待ちます。
第二部の一本の芯の通る愛、吹けば飛ぶような愛ではなく、、の下りは、吹けば飛ぶのはまるで紙幣のよう、そんな紙のような愛にしがみつくのかしら、、と想い1人で笑ってしまいました。芯の通った生き方は何よりも望む事です。演奏は丁寧で美しい音に身体が熱くなりまなす。ありがたい、と素直に感じました。ギリギリのこの時にコンサートがあり、こうやって身体が解れ満たされた幸せを、心からありがたいと感じます。
マーブリングのマスクをした高麗さんは、マスクをしていても美しく輝いていました。マスクで顔が隠れていても美しい人は美しく、素敵な人は素敵と感じたコンサートでした。また主催者側、自分が実施する側で生きているか否か、他人事かも、新型コロナをきっかけに全て炙り出されているかのように感じました。高麗さんの書込みのタイトルが、これからの生き方、とあり、腹が決まりました。
最後のアンコールの演奏は、日本の桜を想いました。お花見には今年は行くことができませんでしたが、これからの東北の満開の桜を見たかのようでした。弘前の桜、岩手の桜、まだ見ぬ美しい桜の光景が浮かびました。
厳しい状況の中、盛岡でのコンサートを開催して頂き、心から感謝申し上げます。心、身体が救われました。ありがとうございます?